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2002年12月の投稿

2002.12.25

豊郷小学校

2002年12月24日。校舎を取り壊そうとしていた豊郷町町長は、文部科学省を訪れて校舎を保存する意向を表明しました。

建築についても、法律についても行政に関することについても疎い私には、理解しきれないこともありますが今回の「保存」決定の裏には新校舎建設に関する補助金などの理由もあるようです。

結局、校舎は保存されますが「豊郷小学校」の校舎としては利用せず、新たに敷地内に新校舎を建設するというのが、町長の考えのようです。
報道を見る限り、町民の多くは「豊郷小学校」の校舎として利用して欲しいと望んでいるようで、この問題ままだまだ尾を引きそうです。

ヴォーリズが設計した校舎には、子供たちへの愛情が満ちています。
私は残念ながら豊郷小学校の校舎を見学したことはありませんが、横浜共立学園や近江兄弟社学園、などを見てもお分かりいただけると思います。

昭和の初めに作られた校舎だというのに、階段の踊り場にはベンチが備え付けられていたり、廊下の隅にゴミを捨てられる扉があったり、転んでその辺に頭をぶつけても怪我をしないように角は丸く処理してあったり・・・。
特に、今回問題になった校舎は小学校ということで階段にウサギとカメの装飾が施してあったり・・・。
ヴォーリズはきっと、そこで学ぶ子供たちの笑顔を想像しながら設計したのではないかと思うのです。

私は、豊郷町の人間ではないので校舎が保存されるだけでも充分嬉しかったりするのですが、町の人たちは親子3代であの愛情溢れる校舎で学びたいと望んでいる人も多くいると聞きました。
耐震に問題がなければ、私もぜひ校舎として利用して欲しいと思います。
今の小学校では、PC教育もあるでしょうし冷暖房の問題などもあるのかもしれません。
もちろん、ありのままで使ってもらえれば一番いいのでしょうが、利用する子供たちも満足できるように、ある程度現代的な改修はやむ終えないのではないかと思うのは、シロウトの浅はかさでしょうか・・・。

今回の騒動で、きっと豊郷小学校は文化財になるのだと思います。
文化財が母校の校舎だなんて、うらやましいなぁと思います。
生徒たちが誇りに思える校舎だと思うので、大切に保存・活用してほしいなあと思います。
たとえ、「校舎」にならないとしても・・・。

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2002.12.18

北海道初の鉄道

日本で初めて鉄道が開通したのは、多くの人がご存知の通り明治5年の新橋-横浜間です。2番目が神戸-京都間。
横浜といい、神戸といい開港の街で居留地が置かれた場所です。
西洋技術の生かした鉄道が開通するのもうなずける話しです。

日本で3番目に開通した鉄道が、北海道にあります。
明治元年に北海道の内陸の幌内で発見された炭層から石炭を掘り出し、小樽へ運ぶことを目的として開通した手宮-幌内がそれにあたります。
明治13年手宮-銭函間の仮運転、手宮-札幌間の開通を経て全面開通したのは、明治15年11月13日です。

幌内炭鉱が本格的に石炭の掘り出し作業を始めたのは明治12年のことです。
当時は多くの囚人が過酷な労働を強いられ、坑内労働を強制されていたようです。
そんな囚人たちが収容されていた空知集治監の跡地に、煙突だけが今も残されています。(ここに画像があります)

幌内線のうち、札幌-岩見沢間は現在も函館本線として健在ですが、岩見沢-幌内間は廃線になっています。
また、南小樽-手宮間も同様です。

手宮と幌内の旧三笠駅には北海道の鉄道発祥の地を標す記念館などが出来ています。

幌内線が廃止になった当時、私はなにをしていたんでしょう???
岩見沢に住んでいたのですが。幌内線が無くなると聞いても「無くなるんだぁ」くらいでしたね^^;
三笠市内に住んでいたときでさえ、幌内線はほとんど利用したことがありませんでした。(私が知っている幌内線は旅客鉄道でもありました)
あの周辺はバス路線が発達していて、首都圏のような渋滞もなく10分おきに路線バスが走っていたので、めったに来ない幌内線を利用する人は少なかったように記憶しています。
それゆえ赤字ローカル線であり、国鉄の民営化に伴い廃止されるべく廃止された路線であると思います。

昨今の廃線ブームで本やHPで幌内線の駅舎の写真を見掛けます。
当時はなんとも思わなかった駅舎たちも今、見るとなんだか懐かしく思います。
こんなに歴史のあるところで生活していながら、そのことに何も気がつかなかった自分が情けなく思える今日この頃なのでした。

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2002.12.17

学校の想い出

小学校のときの想い出は新しい校舎になって石炭運びがなくなって、暖房器具がエアコン式(冷房はない)になったことがとても嬉しかったのを覚えています。
卒業アルバムにも、旧校舎は載っていなかったような気がするのですが・・・。
おもしろい小学校でした。
小学校なのに、中学生以上と同じように専門教科(というか、たぶん得意な教科なんでしょうけど)を教える先生がいて、担任以外に授業を受けることが多かったです。
中学校の校舎もとても古いもので、私が卒業してまもなく移転して新築されました。
ピッカピッカの校舎になって、イマドキらしくしきりのないフリースペースのレクリエーションルームなんかもありました。
私は、この母校に教育実習に行きましたがあまりに見違えちゃって驚きました。
旧校舎は、しばらくは壊されずにそのままになっていたので時々遊びに行っていましたが、私の実家自体がその周辺から引越ししたので今はどうなっているのか判りません。

木造2階建ての校舎で、昔の写真を見ると校庭にプールがあったようですが、私が在学していた頃はその辺りは白樺林になっていました^^;
白樺林の鬱蒼とした中に、中学校があったんです^^;
(しかも、けっこう高台で見晴らしがよかったです)
遠くにズリ山が見えて、美術の写生ではズリ山を描いたこともありました。

とにかく隙間の多い建物で、冬には生徒玄関においてある靴が凍り付いたり(笑)、吹雪いた翌日、朝学校へ行くと窓側の机の上に雪が積もっていたり(笑)本当にひどい話しです^^;;

でも、ダルマストーブを囲んでみんなで給食のパンを網で焼いたり、ストーブの上に乗っている蒸発皿の中に牛乳ビンを入れて温めて、忘れてビンが割れたり(笑)、あの頃しか体験できなかったこともいっぱいあります。

掃除当番は、ストーブの灰まで取って掃除をして、学校の地下にある石炭倉庫まで石炭を取りに行って、教室の石炭を補充するのですが、石炭倉庫が怖くて3人くらいで行ったものです・・・。
家では石炭を使っていないので、中学を卒業したら石炭を見ることはなくなってしまいました。
一個くらいとっておけばよかったなぁ・・・(笑)

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馬車が行く!

今、思い出しても「私の思い違いかも・・・」と思うことがあります。
夕張市清水沢という所にある公園で、遊んでいると公園の前の道を馬車が通るのです^^;
昭和50年代ですよー(笑)
世の中、キャンディーズが流行していた頃ではないでしょうか。
私は、キャンディーズのことはあまり覚えていないくらいの世代なので、馬車のこともうる覚えだったりするのですが、子供心に「馬糞を踏まないようにしなくちゃ」と思ったものでした。
その馬車はたぶん、石炭を運んでいたのだと思います。
道はまだ舗装されていなくて、土の道でした。
ほどなく、道は整備されアスファルトが敷かれていくのですがそれと共に、いつのまにか馬車も馬糞も見なくなりました・・・。
きっとトラックなどに替わったのでしょうね。
私は馬車の写真は持っていないのですが、炭鉱遺構のサイトをあれこれ見ていると昭和40年代に活躍した馬車の写真がありました。
ずいぶん古い写真ですが、きっと私が見ていたものとそんなに変わらないのではないかと思います^^;

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2002.12.16

文京区のお散歩

同潤会大塚アパートが取り壊されようとしています。
集合住宅にはあまり興味がなかったのですが、清澄アパートの写真を見てから、集合住宅の魅力がわかった気がします。

大塚女子アパートは、当時職業婦人の為に作られたアパートメントということで、かなり画期的な集合住宅です。
もう、取り壊されるので入口などベニヤ板がつけられていましたが、玄関の装飾や、壁のスクラッチタイルなど今見ても、おしゃれなだぁと思いました。

すぐ近くにある区立窪町小学校。
こちらも改築のため、取り壊し作業に入っていますが、震災復興小学校ということ。
よく見ると、かわいらしい装飾やペディメントがあり大正15年に建てられたとは思えませんでした。

それから少し歩いて、旧外務省研修所前へ。
お寺のような門構えに圧倒されました^^;
売りに出された当初は、取り壊されるのではないかと危惧されましたが、改修されて拓殖大学の日本語学校として利用されるそうです。
日本語学校といえば、外国人が日本語を学ぶところなので、瓦屋根で重厚な建物は喜ばれそうですね。
4月には日本語学校として、生まれ変わるそうです。

そこからまた歩いて、区立小日向台小学校へ。
インターナショナルデザインの、シンプルだけどおしゃれな校舎でした。
私が通学していた小学校も、今思えばおしゃれな学校でした。
もう、とっくに鉄筋コンクリートの校舎になっていますが・・・。

だけど、当時は冬になると隙間風や隙間雪(?)がいっぱいで、寒くて大嫌いな校舎でした。
大人になって、木造の校舎がよかったなぁと回顧するのもなんだかずるい話しですが・・・。
年を取ると懐かしくなるのでしょうかねぇ・・・。

最後に同潤会江戸川アパートへ。
こちらも4月には取り壊されるそうで、引越し業者がきていました。
いやぁ・・・ずーっとフシギだったことがひとつ解決。
どうして、飯田橋近くにあるのに「江戸川アパート」なんだろう???
そうしたら、現在の神田川は昔は「江戸川」と呼ばれていたそうですね~。びっくりしました。

どうりで、「江戸川アパート」納得です。
それにしても、スゴイ。
旧いのも旧いですが、震災復興事業であの規模の集合住宅・・・。
取り壊されたあとは、11階建てのマンションになるそうです。
敷地が広そうなので、大きなマンションになるんでしょうね。

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