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2003年3月の投稿

2003.03.25

千と千尋の神隠し

突然ですが、アカデミー賞取りましたね。
日本のアニメーション技術は本当にスゴイのですね・・・。

「千と千尋の神隠し」は私も大好きです。
ストーリーも好きですけど、背景の描写がとてもリアルでキレイで、見ていると映像の世界に引き込まれます。
あの不思議な町並みは、「江戸東京たてもの園」がモチーフになっているのは有名なお話ですね。
江戸東京たてもの園でスタジオ・ジブリの原画展もやっていました。

宮崎駿さんの作品には、ちょっと懐かしい日本が盛り込まれています。
「となりのトトロ」に出て来た洋館付き住宅は、子供たちにも印象深かったようです。
2月にオープンした磯子区のなつかし公園にある「旧柳下邸」へ行った時、館内に感想ノートが置いてありました。
公開されている建物や、観光地の喫茶店やペンションによく置いてありますよね(^^)
私は「感想ノート」を読むのがけっこう好きなのですが、旧柳下邸に置いてあるノートにも、たくさんの子供たちの感想がありました。
その中のひとつに、『となりのトトロの家みたいで、大好きになりました』というのがあったんです*^^*
見ていて、顔がほころびました。

江戸東京たてもの園は維持費がかかるわりに、入場者が伸びず運営が大変みたいです。
でもって、復元を待っている建物が倉庫に眠っています・・・。
その倉庫代も大変らしいです・・・。
かの有名な「デ・ラランデ邸」もそのひとつです。
早く復元して欲しいなぁと思います。

近所にあったら毎週末行きたいくらいなんですけどねぇ・・・。
これから、お花見シーズン。
江戸東京たてもの園周辺の桜はきっとキレイでしょうね(^^)

#週末の3連休、お部屋の大掃除と模様替えに始終してどこにも散歩に行けませんでした(>_<)

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2003.03.19

和敬塾と「ノルウェイの森」

最近の通勤の友は村上春樹さんの「ノルウェイの森」の文庫本です。
単行本は上下巻が赤と緑で、クリスマスのようにキレイな装丁なのに、文庫本はシンプルなんですね・・・。

どうして、「ノルウェイの森」を読んでいるかというと、旧細川侯爵邸がある、和敬塾が小説の舞台になっていると掲示板で教えていただいたからです^^;;

この小説自体はあのクリスマスのような装丁に惹かれて、高校生のとき読んだのですが、なんだかピンと来ないというかストーリーが頭に入ってこないとというか、とにかく恐怖感が印象に残った作品でした。
きっと私が子ども過ぎたのか、頭が悪すぎたのか・・・どっちかだと思います^^;;;

10年以上歳月が経って、私も年齢だけは充分大人になり今回はじめて読み返したら、おもしろくて驚いています。
「おもしろい」という言い方はちょっと違うんですけど、情景の表現も舞台となっている寮の描写も目に浮かぶんですよねぇ。
高校生の頃は、北海道にいたので中央線も四ッ谷もまったくピンと来ていなかったのが、今なら判るというのも理由のひとつかもしれません。
和敬塾・・・見学してみたいなぁなんて思いました。
改修が終ったら、ぜひ旧細川侯爵邸に行ってせめて寮の外観を見てきたいです。

ぜんぜん関係ないのですが千葉にラストエンペラー・溥儀が住んでいた家が残っているそうです。
今度、見学に行く予定ですが・・・どんなところなんでしょう???

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2003.03.18

「戦争を知らない子どもたち」だって平和がいいと思う。




ときどき、「建築散歩」のBBSにも書き込みしてくださるSOさんのサイトに、興味深い企画が掲載されています。
Webサイトで「White Ribbon」の輪を広げようというものです。

ミュージシャンの坂本龍一さんが始められたそうです。
ちょっと古い歌ですが私はまさに「戦争を知らない子供たち」です。
戦争を知らなくても、戦争は嫌だし、世界で唯一の被爆国の国民として戦争には反対したい気持ちです。
日本は平和で、治安も良くてのんきに電車でうたた寝できるほどです。
ベトナム戦争は大人になってから史実として学びました。
まだまだ地雷がたくさん埋められているのは知っていますが、私の日常ではあまり現実味が感じられないでいます。
湾岸戦争はテレビで見ていました。
戦争は嫌だ、平和が良いとただ漠然と思ってきました。
世界貿易センタービルが倒壊したテロ事件も、何度も映像を見て恐怖感を募らせました。
でも、武力で対抗しようとすることへは抵抗を感じました。

戦争の怖さ、酷さ、惨さ、悲しさ・・・どれも私は本当には分かっていないと感じます。
でも、平凡に普通に平和な日常を続けていきたいです。

ジョン・レノンが「想像してご覧・・・」と歌った「イマジン」の世界は理想かもしれませんが・・・。
少しでもそれに近づけたらいいと思います。

第2次世界大戦で、多くの尊い命がなくなりました。
美しい建物も失われました。
これ以上色んなものが失われないように、悲しさが増えませんように・・・。
そんな気持ちを込めて、ここに白いリボンを張りたいと思います。

遺産相続や新築するために歴史的建造物が取り壊されるのも淋しいことですが、戦争やテロで破壊されてしまうのはもっと悲しいと思うので、
このサイトにも関係がないこともないかな・・と思い、書いてみました。

白いリボンの詳細を知りたい方、賛同して下さる方はSOL TIERRA Y VIENTOをご覧ください。

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2003.03.15

ヴォーリズ記念病院のツッカーハウス

「3月12日の日経新聞の夕刊にヴォーリズに関する記事が掲載されているよ」と、当日の夕方教えていただきました。
日経新聞の夕刊を探しましたが、入手できずにいたら昨日、「記事の内容はヴォーリズ記念病院の事務棟であるツッカーハウスを取り壊し、ホスピスを建設するとういものだった」というメールを戴きました。

ヴォーリズ記念病院はこのサイトでも紹介していますが、(こちらです)新しい病棟もある中で、シンボリックで存在感があるのが、現在管理棟として使われているツッカーハウスです。

新聞記事の内容を教えて下さった方は、ツッカーハウスの取り壊しに反対して保存運動をしようとがんばっている方でした。
確かにあの建物が無くなってしまうのは淋しいなぁって思います。
できることなら、チャペルと共にずっと存在して欲しい。

だけど、どうなんでしょう。
他の団体や企業ならともかくヴォーリズが作り、ヴォーリズの名前を冠した病院で、そのシンボル的な建物を取り壊そうというのはよほどのことなのかな・・・なんて想像します。
ヴォーリズ記念病院の運営は、(財)近江兄弟社が行っています。
(財)近江兄弟社といえば、ヴォーリズが晩年生活して亡くなった家である、現在のヴォーリズ記念館の管理なども行っている財団法人です。
それを考えると、取り壊しに積極的だとは思えなくて、もし取り壊しが決まったというならば、それなりの事情があるのでは・・・と思ってしまいました。

ヴォーリズのお墓もすぐ近くにあるので、今回のことをヴォーリズはどう思っているのかなと思います。
ホスピスも重要な医療施設です。
今のツッカーハウスを改修してホスピスにできればいいのかもしれませんが、設備や病床数など考えると難しそうです。
ヴォーリズはどう考えるでしょう。
私には判りません・・・。

保存運動が起るのかどうかわかりませんが、今後の動向に注目したいと思います。

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2003.03.14

エドウィン・O・ライシャワーの不思議

不思議・・・って書いたものの、私が勝手に不思議だなぁって思っているだけで、本当は不思議でもないのかもしれません^^;;

エドウィン・ライシャワーと聞くと何を思います?
元駐日大使で、日本に詳しい人・・・。
松方正熊氏の娘のハルさんと結婚した人。
これが、つい1年前までの私が知っているエドウィン・ライシャワーの情報でした。
でも、がらりと一転。
なんだか勝手に身近な存在になってしまったのでした^^;;

エドウィン・ライシャワーはカール・ライシャワーとヘレンの間に生れました。
生れた場所は、なんと!現在の明治学院大学内。
父親は宣教師として来日し、明治学院で教師をしていました。
一家が住んでいた家は、「ライシャワー記念館」として東村山にある明治学院高校の敷地内に移築保存されています。
明治学院大学といえば、ヴォーリズ設計の礼拝堂がある大学です~。
そこで一気に親近感が沸いたのです。
松方ハルさんが生れた家は、ヴォーリズ設計の住宅で、現在は西町インターナショナルスクールで利用しています。
ご夫婦とも、ヴォーリズの建物の近くにいたということが、一気に私の好奇心を揺さぶりました。

更に、東京女子大学を見学させていただいたときキャンパスには「ライシャワー館」がありました。(A・レーモンド設計)
カール・ライシャワーが明治学院を退職して創立に関わった大学が東京女子大学なんですよね。
ということは、エドウィンも東京女子大周辺の景色を見ていて、あのレーモンド設計の美しい校舎も見ていたんだなぁと思うと、妙に感慨深くなりました。

現在日本唯一の私立の聾学校が都内にあるのですが、その学校を創立したのはエドウィンの母・ヘレンです。
エドウィンの妹のフェリシアが2歳のとき病気で聴力を無くしました。
ヘレン夫人は宣教師ミス・クレーマーに協力をしてもらい、大正9年にある教会内ではじめたのが前身になっています。
学校では、手話を一切使わず、口話の読み取りや発音を勉強し、一般社会でのコミュニケーヨンに困らないよう学習をすすめています。
それは、現在も変わらない教育方針です。

私は手話に関わっているので、聾学校でも手話で授業を行って欲しいと願っている立場なのですが、聾者になった娘の教育環境を整えようと尽力した、ヘレン夫人を尊敬しないではいられません。

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2003.03.10

セピア色の世界

昨日、半蔵門線ぶらり旅(笑)をして来ました。
渋谷から乗って、まずは表参道で下車。

今年取り壊されることになっている旧同潤会青山アパートへ。
3号館2階の「夢どうり」で行われていた同潤会アパートの記憶展を見るのが目的でしたが、3号館にたどり着く前に、表参道の風景に情緒的なエッセンスを加えてくれていた、アパートをまじまじと眺めてきました。
私以外にも、「壊されちゃうらしいよ~」なんて話しながら歩く若者の姿もありました。

「夢どうり」の中は、青山以外の旧同潤会アパートの写真が映像で彩られ、狭いお部屋にたくさんの人が集っていました。

もうコンクリートが崩れている階段、窓から見える表参道の景色。
タイムスリップして、昔から「今」を見ているような錯覚に陥るような
空間が目の前に広がりました。

見ているもの全てに、もちろん色彩はあるのだけれどモノクロかセピアに見えてしまうような不思議な空間。
青山アパートは旧くて新しい、そんな場所でした。

表参道を後にして、半蔵門線で今度は半蔵門駅で下車。
日本カメラ財団1階のフォトサロンで行われている、増田彰久さんの写真展へ行ってきました。
今回の写真は全てモノクロ写真。
中には、カラーで見たことがある作品もたくさんありました。

モノクロだとまた、雰囲気が違って新しい魅力がありました。
今ではもう解体されてしまった建物の作品も数多くあり、「見たかったよぉ」とつぶやきながら、モノクロ写真が90展もある空間にいると、不思議な気分になってきます。

モノクロ写真に圧倒されつつ、半蔵門線で大手町へ。
東京駅まで歩いて大丸ミュージアムの「英国ドールハウス展」へ足を運んで、人の多さに目が回ってきました^^;

本物の家を、自分で建てることは出来ませんがチューダーハウスかなんかのミニュチュアは自分で作ってみたいなぁと思いました。
そうしたら、構造のこともすこしは理解できるでしょうか・・・。

カラフルなドールハウスをみながらも、その歴史は旧いことを知るとちょっと感慨深くなりました。

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2003.03.07

散歩のよりみち

お散歩していると、ついついよりみちしたくなります^^;
散歩する場所にもよるのでしょうが、ちょっとかわいい店構えだったら、ふらっと立ち寄ってみたいとか、おいしそうなケーキが店頭のメニューに飾ってあったら、食べたくなったりとか・・・(笑)

私が今、あれこれよりみちして調べているのが「高田商会」という明治から大正にかけて繁盛した輸入販売の会社です。

近代建築とは関係がないのですが、先日アップした遺愛学院本館に設置してあった暖房器具の領収書が、「高田商会」のものかなって思ったら、気になって気になって・・・^^;;;

建築資材や設備用品の輸入販売をして大きくなった会社らしく、鉱山や鉄道など手広く事業を行っていたようですが、大正14年に倒産しているんです・・・。
私は高田商会には詳しくないのですが、関東大震災の被災地の写真でちょっと丸い感じのコンクリートのビルが倒壊していた写真を見たことがあって、なぜだか妙に印象に残っていました。
それが確か、「高田商会」だったのです。
日比谷近くにあった、洒落たビルだったように思います。

大倉・三井・三菱と並んで大きな商社だったのに、高田商会は倒産し昭和の時代には栄華を築けませんでした。
そのため、資料は少なくて調べるのが大変です(>_<)

でも、多くの被災写真の中から印象に残っていたのも何かの縁ですし、のんびり気長に、高田商会のことを追いかけてみようかなって思っています。
特に私が見たいのは高田商会の商標なんですよね~。
遺愛学院にあった領収書の図柄と同じかどうかを見たいのです・・・。

ガーディナーの作品からのよりみち散歩・・・どこまで行くのか不明ですが^^;;;
なぁんか、迷子になりそうです(苦笑)

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2003.03.04

根拠のない大胆な発想


素人だからこその発想かもしれませんが、最近気になることがあるので、私の根拠のない「空想」を書きたいと思います^^;;

写真は、弘前学院外人宣教師館。
明治39年に文字通り宣教師の住宅として建てられ、現在は重要文化財に指定されています。
弘前学院外人宣教師館…外国人を「外人」ということに抵抗がある私ですが、この名称が、重要文化財の正式名らしいので、「外人宣教師館」と書きます。

この建物を見て、「ガーディナーだぁあああ」と思ったものでした。外交官の家に似ていると思ったからです。
でも、弘前学院外人宣教師館の設計・施工はクリスチャン棟梁の「桜庭駒五郎」となっています。
重要文化財にもなっているのだし、ちゃんと証拠になる資料があるのかなぁと思います。

桜庭さんが、旧内田邸の外観の意匠を真似たのかなぁ?と最初思いました。
でも、弘前学院外人宣教師館ができたのが明治39年。
「外交官の家」が出来たのは明治43年。
「外交官の家」の方が4年後になるのです。
ガーディナーが日本人棟梁の意匠を真似したとか…?
ああ…でも、本物の「西洋館」を知っているアメリカ人が日本人の真似をするでしょうか。
ちょっと不自然。

ちょっと話は飛びますが、弘前学院の前身は、弘前遺愛女学校といいます。
函館の遺愛女学校とゆかりがあった学校です。
函館には、ガーディナー設計の校舎があります。
だったら、弘前にもガーディナーの作品があってもおかしくないかなぁ…なんて。

弘前学院はともかく、弘前の昇天教会はガーディナーの設計です。
弘前に縁がないわけではありません。
函館の遺愛学院の宣教師館は、重要文化財ですが設計者は不明ということになっていて、でも、本館同様ガーディナーの設計ではないかといわれています。
そこで、私は考えました!
弘前学院外人宣教師館の設計は、実はガーディナーで施工が桜庭駒五郎ではないかと…。
どうでしょう?

百歩譲って、クリスチャンだった桜庭五郎とガーディナーがどこかで知り合っていて、宣教師館を請負った桜庭がガーディナーに相談して、基本設計はガーディナーが行ったとか…。

私の中では、そんなドラマが渦巻いております^^;
設計したのが、桜庭駒五郎だという資料は残っているのでしょうか?
私が見た資料だと多くは、「設計・施工は桜庭駒五郎だと言われている」という書き方なんですよね^^;;
ああ…。
1人盛り上がる、今日この頃です。

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2003.03.03

お雛様と昔の生活

桃の節句目前の週末、2つの家の古い雛人形を拝見しました。
雛人形を見るのが目的だったわけではないのですが、季節柄飾ってあって、貴重な人形と対面することができました。

まず東京・文京区にある「旧安田楠雄邸」。
大正7年に建てられた近代和風住宅です。
現在は日本ナショナルトラストが所有していて、時折公開される建物です。
ひとつだけ、洋室があってサンルームに面した応接室なのですが、カーテンもカーペットも当時のままという貴重なお部屋です。

私が伺った日は生憎の大雨(>_<)
それでも、たまの公開日だけあってとてもにぎわっていました。
お抹茶を頂いて、同じお部屋にキレイに飾られた安田家のお雛様を見せていただきました。
立派な8段飾り・・・でもなんだか不自然。

あれっと思って観察してみると、最上段にお雛様とお内裏様が3組飾ってありました。
安田家の娘さんたちの分全部をそこに、置かれたそうです。
なるほど~。
年代は不明ですが、とても古く立派なお雛様でした。
近年、住宅事情もあり雛人形も簡略化されてこんな立派なひな壇を目にする機会も少なくなったので、かなり感激しました(^^)

次に旧安田邸へ伺った翌日、今度は打って変わって晴天の1日。
今度は横浜に新しく出来た「なつかし公園」内にある「旧柳下邸」へ行ってきました。
旧柳下邸は、大正8年~13年頃に建てられた洋館付き住宅です。
もとものこの地にあった建物で、土地は横浜市が購入し建物は寄贈され、公園として整備されました。
こちらにも、柳下家の雛飾りの他寄贈された古いお雛様が飾られていました。
特に大正時代のお雛様は古いながらも、とても品のいい顔立ちで正座をしてしばらく眺めてしまいました。
旧い家には日本人形がよく似合いますね。
なんだか背筋がピンとするような思いがした2日間でした。

ああ・・・。
でも、山手の西洋館にはやっぱり雛人形は似合いませんね^^;;

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