昨日、劇団あしたの会公演『あしたを拓く』を見てきました。
昨日はちょうど、安部恭弘さんのSTBでのクリスマスライブ。
小泉さんも出演するので、行きたかったけどそれをあきらめて舞台を見に行ったのですが、いや~、行った甲斐がありました。
本当に、感動するいい作品でした。
劇団あしたの会というのは、ろう者と聴者が混在している劇団で、今回上演した『あしたを拓く』が初めて上演した思い出ある作品だそうです。
内容は38年前に京都府立聾学校の高等部で起こった事件をもとにしています。
今よりもっともっと聴覚障害者が差別されていて、聾学校でも手話が禁止されていた時代。
教科の勉強よりも、聴こえる人達の口の動きを読み取る「読話」と、発声する「口話」の練習に膨大な時間が割かれていた時代。
本では読んだことがあるこの頃のことを、目の前で役者さんたちが迫真の演技を見せてくれると、あまりにも臨場感があって、引き込まれてしまい涙が止まらなくなってしまいました。
当時は、聾者は自分の意見を言うこともできなかったようです。
そういったことに疑問と不満を抱いた生徒たちが生徒会活動を通して先生たちと話し合おうと努力するけれど、先生たちは取り合ってくれない・・・。
先生は先生で、聾学校の教育は「口話」をうまくすることだという方針が教育委員会なり当時の文部省からあったからなんでしょうけれど・・・。
そんな中で、自分たちの言いたいことを言い、きちんと先生たちとも向き合って話し合うことを目的とした「授業拒否」が行われます。
逃げ出してばかりいる先生へのささやかな抵抗です。
客席には、実際に38年前に配られたと思われる内容のビラが役者さんたちの手によって配られました。
その内容は、きちんと筋が通っていて、誰が見ても学校に問題があるように思います。
でも、それは今の時代だからそう思えるのかもしれません。
私が38年前に大人で、周りにろう者がいなかったとしたらなにか偏見を抱いていたのかもしれない・・・そう、思うと少し怖くなります。
これだけ、手話が市民権を得てろう者が気兼ねなく街を歩ける今だって、あちこちに理解のないヒトや間違った認識を持っているヒトがいます。
そんな38年前にも、劇中に出てきた本屋さんのように「手話は林君の言葉でしょ、どうして恥ずかしがるの!」といってくれた人がいたことはすばらしいと思いました。
(この本屋さんは、手話をなにかの暗号で万引きしに来たと勘違いして、「林君」をお店の事務所に呼んでしまうのです^^;)
何年か前に日本の聾学校のことを調べたら、京都府立聾学校だけが手話の使用を認めていることが書いてありました。
(今では、もっと多くの聾学校で手話が認められています)
そのとき、どうして京都だけなんだろう・・・という思いがありました。
その理由が、『あしたを拓く』の中にあります。
自分のためだけじゃなく、後輩や自分の子供たちのためにも明日を拓いて、生きやすい環境にしなくてはいけない・・・。
それは、ろうあ運動だけではなく地球に生きる人間みんなに言えることですよね。
温暖化とか戦争とかいろんなことがあるけれど、次の世代のために何かできるんだろうと考えさせられました。
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