障害者」も「健常者」もいい言葉ではないですよね・・・。
私が特に嫌いなのは「健常者」。
でも、「健聴者」の「健」は取れるけど「健常者」の「健」は取れないですもんねぇ・・・。
「障害者」という言葉を私は「たくさんの乗り越えるべき障害があるヒト」という意味で捉えています。
世の中がバリアフリーになれば「障害者」はいなくなるなぁと。
例えばろう者などは「情報」取得に壁があります。
目が見えないヒトにとっては、駅の切符を購入するときのタッチパネルは、凹凸がないので「障害」になります。
点字ブロックに自転車を止められたりするのも、歩くのに邪魔ですから「障害」になります。
階段ばかりでエレベーターが設置されていないと、車椅子利用者にとっては出歩くための「障害」になります。
そんな「障害」があるヒトと思って使っています。
で、ハンディキャップなのですが確かに語源が「Hand in cap」だとい言われています。
ただ、施しを受けたいために帽子を持っているという意味で「Hand in cap」ではなく、イギリスの競馬用語で、騎手の体重と馬具の重さを決めるといった、クジ引きの方式で、帽子の中に手を入れる事を「Hand in cap」というのが語源という説が有力です。
そのくじによって、馬具の「ハンデ」が決まることから現在「ハンディキャップ」と言われているのです。
「手に帽子を持つ」は英語の文法でいくなら「Cap in Hand」じゃないとおかしくないですか?
誤訳したものが俗説として広がり、「手に帽子を持つ人」が由来だから「差別用語」だと言う方もいますが、「ドリビアの泉」で言うところの「ガセビア」かな・・・と思っています^^;;
イギリスの競馬が語源だから、ゴルフという「紳士のスポーツ」にも使われる言葉なんじゃないでしょうか。
「ハンディキャップの計算」をするのは、日本だけのルールではありませんから・・・。
以前パラリンピックの選手数名とお話する機会があったとき、「ハンディキャップ」というコトバをどう思うか伺ったところ、みなさん差別用語だと思わないと言っていました。
ろう者や視覚障害の友人にも同じコトを聞きましたが、差別だと感じないそうです。
実際、「日本ハンディキャップテニス連盟」や「ハンディキャップスキークラブ」など存在しますし、ゲームをするときに「あなたは強いからハンデをちょうだい」など使いますよね?
ホテルなどで、「ハンディキャップをお持ちのお客様へ」などという張り紙などを見かけますが、私は「ハンディキャップを持っているとはどういうことか」を聞いたことがあるのですが、「骨折して松葉杖をついていたり、車椅子だったり」の恒常的な障害者じゃなくても含まれるそうです。
そういった意味で「障害をお持ちの・・・」ではなく「ハンディキャップを・・・」という表記をされているとのことです。
そんなことから、私は「ハンディキャップ」を差別用語だとは思っていません。
逆に「ハンディキャップ」の語源「Hand in cap」を日本人的に誤って訳してしまった俗説が広がって、差別用語だと思われることを悲しく思います。
ろう者のことを「耳が不自由なヒト」と言う人がいます。
理由を聞くと「ろう者」という言葉が差別だと思い込んであえて「ろう者」という言葉を避けているというヒトがいます。
でも、当のろう者は「ろう」という文化に自信をもっていたり、生まれ変わっても「ろう」がいいと言う人もいます。
手話で「アイヌ」を表すと「差別表現だ」といわれたという話が木村晴美さんのブログ「ろう者で日本人で・・・」にありますが、当のアイヌの方は差別と感じていないなら、差別じゃないと思います。
「精神分裂症」という病名が「分裂」じゃ誤解を招く、この病名を変えてほしいという患者の家族の要望で「統合失調症」と変更されました。
だから私は「精神分裂症」というコトバは使わないようにしています。
では、「統合失調症」と言ってどれだけの人がその病気を理解できるかというとなかなか厳しいです。
結局、「今は、統合失調症以前は精神分裂症と言った」と補足をつけることになります・・・。
こっちのコトバの方が、多くのヒトに浸透してほしいなと思います。
当事者やその周辺の方が「分裂」というコトバを嫌がっているのですから。
最近のコメント