« 花粉症? | トップページ | 小さな国際交流 »

2007.03.09

明治のロマン☆「旧居留地91番地塀」

Kyoryuchi

久しぶりに歴史好きの血が騒ぐドラマを聞きました。
われらが建築散歩仲間で、山形の温泉旅館に嫁ぎ、今ではすっかり若女将が板についた友人が、米沢牛の恩人といわれる「C・H・ダラス」に興味を持ちました。
彼女はもともと温故知新を地で行く人柄。
J.H.コンドルを愛し、古い町並みが好きで英語が好きで旅が好きで、その国際感覚を山形でも忌憚なく発揮しています。

大興奮の友人の話を聞いていて、明治初期のお雇い外国人だったD.C.ダラスに、久々にロマンを感じちゃいました☆
明治4年に現在の東京大学の前身で教員として招聘されましたが、後に米沢へ高給で雇われ英語、仏語、数学、経済学、地理などを(当然、英語で)教えていたそうです。
その間、イギリス人であるダラスは米沢でイギリスの風俗や生活などを伝えたり、米沢弁で地域の方とお話したりしていたようです。
スゴイ!コンドル先生以前にそんなに日本に馴染んだ外国人がいたなんて。
「米沢方言」なんて本も出したようです。
米沢牛がお気に入りで、『牛万』という米沢牛のお店を開いたという記録もあるようです。

その後、米沢を離れ横浜の居留地で米沢牛を広めたことから「米沢牛の恩人」なんていわれるようになったみたいですね。

その経歴がかなり興味深く、来日してまもない元治元年にはフリーメーソン横浜支部長に就任したそうです。
お雇い外国人の多くはすぐに日本を離れていますが、彼は明治18年に横浜を離れるまで居留地で会社を経営するなどして活躍したようです。

冒頭の写真は、現在の横浜中区にある「シルク通り」に残る横浜市指定有形文化財「旧横浜居留地九十一番地塀」です。
マンション建設のときに発見されたそうで、旧居留地48番館の遺構と並び貴重な明治期の赤レンガ建造物だと思います。
そんな旧居留地91番地に、なんと!明治初期にD.C.ダラスが事務所を構えていたそうなのです。
山形の友人の興奮が私にも伝わってきました。

現在残っている「旧横浜居留地九十一番地塀」はデローロ商会の外壁だとされているので、D.C.ダラスが事務所を開いていたのは、この建物とは関係がないのかもしれません。
でも、この地で活動していたことは間違いないわけで・・・。

数年前、関東在住だった友人は私と一緒に中華街に行ったこともあるし、私以外とだってきっと中華街や山下町周辺に足を運んでいたと思います。
その頃知らなかった場所に、嫁ぎ先からすいよせられるなんてドラマだなぁと思います。

米沢牛のお店、米澤紀伊國屋では「米沢牛の恩人」に思いをはせ、D.C.ダラスの立像を製作したそうです。
時代を超えて、米沢に彼の息吹が感じられる気がします。

某うめなおちゃんの今後のD.C.ダラス研究に期待したいと思います☆

|

« 花粉症? | トップページ | 小さな国際交流 »

建築散歩・街歩き・お散歩」カテゴリの記事

コメント

わぁー ありがとうございます!
リンク先の米沢紀伊國屋さんのページを見たら、ちょうどみたいと思っていたダラスの肖像画が!
いやーめちゃくちゃ面白いですよ、調べれば調べるほど。
だって、ちょうど新選組が京都で暴れていた頃とかとまるかぶりなんですもの!
ちょっと腰を据えて調べてみたくなりました・・・(*^_^*)
ほんとに不思議な縁ですね~、一緒にあの界隈歩きましたものね・・・♪
もっといろいろ調べて、また行きたいです!
ダラスの住んだあたりの番地をみんな回ってみたい!

投稿: うめなお | 2007.03.10 07:21

★ うめなおちゃん
本当に不思議なご縁です~。
だって一緒に、中華街でご飯たべながら、今のダンナさまのお話聞かせてもらったものねぇ。
月日のたつのは早いわぁ。

うめなおちゃんは、山形に呼ばれて行ったのね~。
旅先も山形だったし(笑)
ダラス研究、がんばってね~。
観光にも繋がるよよね♪

投稿: ドシル | 2007.03.10 14:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17097/14205763

この記事へのトラックバック一覧です: 明治のロマン☆「旧居留地91番地塀」:

« 花粉症? | トップページ | 小さな国際交流 »