当たり前の謙虚さ
このブログで時々紹介する「手話でいこう」のかめさんこと、亀井伸孝さん。
ヴォーリズがキャンパス設計した関西学院大学の特任准教授です。
「手話でいこう」が大好きな私は、ねこさんこと秋山なみさんのメルマガブログ同様、かめさんの日記を楽しみにしているひとりです。
今日、久しぶりに「ジンルイ日記」を拝見したら、5月14日付けに「聴者のモラル」というのがありました。(注意:2007年8月にて関学を退職され、東京外語大にHPのサーバーも移転しましたLINK)
以前、『バベル』に出演したろう者役で脚光を浴びた女優さんのことを書いたら、大反響があったのだそうです。
毎日新聞に記事が載ったのは知りませんでしたが、Wikipediaにかめさんが日記に書かれた一文が紹介されていたのは知っていました。
Wikipediaの反響って大きいのではないかと思います。
私のブログにも、女優さんのお名前とかめさんのお名前を入れて検索してくるヒトがけっこういました。
あとは「バベル 亀井伸孝」とか・・・。
かめさんの5月14日付け日記の最後の一文に、
聞こえる人はろう者にはなれない。せめてろう者のよき隣人でありたい。手話を学びろう者に関わろうとするすべての聴者の方々に、あらためてこの「当たり前の謙虚さ」のモラルを呼びかけたいと思います。というのがありました。
私は重い言葉だなと思いました。
私もいつも肝に銘じています。
もし私が聴力がなくなっても、「ろう者」にはなれません。
単に、難聴者とか中途失聴者です。
日本人がどんなにがんばっても、アメリカ人になれないように・・・。
仮に国籍を変えられたとしても日本文化で育ったアイデンティティは
変えることはできません。
三つ子の魂、百までも・・・です。
私たち手話学習者は、ろう者の手話を真似して身に着けることが多いけれど、聴者がやると不自然なものも多くなります。
私も交流の中で見たろう者のろう的な手話をマネて使って、「まだ早い」とか「聴者が使うものじゃない」なんて言われたこともあります^^;;;
当時はシュンとしたものでしたが、今はその意味が本当に身にしみてわかります。
「手話でいこう」にも出てくる「ローソン」もそうですよね。
私は「ろう+損」は使ったことがありませんが、本を読んでなるほどなぁ・・・ねこさんの指摘はスルドイなと思いました。
米内山さんは「ろう+尊重」でローソン・・・なんて冗談でやっていましたけど。
ろう者のよき隣人でありたい・・・私はかめさんのようにパートナーがろう者ではありませんが、大切な友人や仲間にろう者がいます。
よき隣人として「当たり前の謙虚さ」を持っていたいと思います。
手話習得には多少の厚かましさも大切なんですけど、それとこれは別ですね☆
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コメント
バベルについては日本で公開した時にポケモンと同じ現象が起きた、くらいしか知らず彼女が助演女優賞にノミネートされた理由もよく知らないままスルーしてました...巷では色々議論があるんですね。アメリカでは30歳代の人が高校生の役をやったりとか要はその役になりきれればいいようなことを言ってた俳優さんがいたような。そういう意味では彼女の発言はアメリカメディア的にはウケるのでしょうね。モラルの低下か謙虚さがないのか、時代の流れか...ところで彼女の役はストーリー全体で見るとろう者である必要があった?父親と絶交状態の不良娘とかではダメだったのかしら...
投稿: トム | 2007.05.26 12:31
★ トムさん
「バベル」のぐるぐる回るシーンで気分が悪くなったヒト、私の身近にもいましたぁ。
私は見てないんだけど^^;;;
まぁ・・・製作者の意図は意図でどこかにあったんでしょうね。
投稿: ドシル | 2007.05.26 22:45