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2007.06.26

村井吉兵衛邸

昔、村井吉兵衛さんというヒトがいました。
明治時代、煙草で大富豪になったヒト。
京都にある長楽館はそんな村井さんの京都の別荘でした。

そんな村井さんの本宅は東京にありました。
明治44年ごろ私が大好きなJ.M.ガーディナーの設計で建てられた・・という資料は残っています。
でも、現存しない個人住宅。
東京のどこにあったのか私はずっと知らずにいました。
いつごろなくなってしまったのかも、分かりません。
ただ、昔の建築専門誌に掲載された立面図でその建物がどんなだったかを見たことがある程度でした。

それがどうやら、今都心にある高等学校の敷地にあった個人邸宅ではないかと聞いたのはたしか今年に入ってからのことです。
その高校の関係者が色々と村井邸について調べているようでした。

沢山の資料を送っていただきました。
大きな大きな家です。
その高校の資料に残っていた建物がガーディナー設計かどうかまだはっきりしません。
この先もずっと分からないかもしれません。
村井家は「たばこ王」と称される大富豪ですから、都内に沢山邸宅があっても不思議ではないですし・・・。

でも、昔の図面とにらめっこし当時の暮らしに思いを馳せ、仮説をたてるのもなかなかロマンがあります。
学術的なことは分かりませんが、ガーディナー設計の村井邸の顛末が少しでも分かったらいいなぁなんて思っています。
どなたか、ご存知の方がいらしたら些細な情報でもかまいませんのでお寄せくださいm(__)m

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建築散歩・街歩き・お散歩」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
古い記事にコメして申し訳なく存じます。
私もこの建物には興味があり、調べているところです。
後に延暦寺の大書院となった日本建築、そして現在も記念館として残る美術品倉庫に比べ、現存しないこの洋館については余りにも情報が少ないですね。確かに広大な敷地の奥まったところに洋館があったという記載はあるのですが...。
高校の資料には建物の写真はないのですよね?

投稿: アマデオ | 2008.05.02 23:44

>アマデオさま
コメントありがとうございます。
この建物のことご存知なんですね。
高校の資料には写真は残っていないようですが、どうやらガーディナー設計ではないようです。
ガーディナー設計の村井邸は、また別にあったようですね。

投稿: ドシル | 2008.05.03 14:11

早速のお返事ありがとうございます。
実は大正初年に撮られた永田町の村井邸の写真を持っているのですが、『建築世界』に所収の設計図とは違う建物のようにみえるのです。
村井吉兵衛以外では、彼の義弟の家がやはり麹町区にあったのですが、そちらはまた純然たる日本建築なので違うし..と、なかなか特定できずにいます。
また何かお分かりになったら教えていただければ嬉しいです。

投稿: アマデオ | 2008.05.03 14:46

>アマデオさん
村井邸の写真をお持ちなのですね。
「建築世界」に掲載されたあの洋館は、村井邸の新館のようです。
設計者はわかりませんが・・・。
日本人の可能性もあるかもしれません。
ガーディナー設計村井邸は、「本館」と呼ばれていたようです。

公の場である、ここでは書けないこともありますので、もしよろしければメールをいただけますか?
私のメールアドレスは、左上にあるプロフィールページまたは、リンクにある「建築散歩」のサイトに掲載してあります。

投稿: ドシル | 2008.05.03 15:22

ありがとうございます。今は連休で、出先から携帯でコメしておりますので、自宅に戻りましたらメールさせていただきますね♪

投稿: アマデオ | 2008.05.04 10:38

>アマデオさん
携帯からコメント、ありがとうございました。
よい休日を〜。

投稿: ドシル | 2008.05.04 23:04

こんにちは。お世話になっっております。

先ほど、メールを送らせていただきましたので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

投稿: アマデオ | 2008.05.06 09:49

>アマデオさん
メールありがとうございました~。

投稿: ドシル | 2008.05.06 18:32

ドシルさんの云われた日比谷高校OBで村井吉兵衛邸について調べています。
その目的は現存の資料館、正門、石垣、煉瓦塀の由来を明らかにし、保存運動の根拠を固める為です。
調査は行き詰まっているのでこの場所をお借りしてこれまで分かったことをオープンにし、お知恵を借りたいと思います。

アマデオさん、ドシルさんのやりとりに出て来るように村井邸は永田町に3軒ありました。
三番町にもありましたが調査の対象外なので省略。永田町一丁目17の村井邸は樺山愛輔から譲り受けたもので白洲正子はここで生まれています。コンドル設計と云われています。
今の自民党本部の裏です。
次に日比谷高校になっている二丁目28番地には最初ガーディナーのハーフチンバーの洋館がありました。
建築世界6巻5号に図面が出ているものです。
冩眞は1枚だけあります。鈴木博之、初田亨「図面でみる都市建築の明治」にでていますが其の出典は不明です。
両先生に問合せ中。

次にこの地に建った村井邸は吉武長一の設計で大正2年に竣工、請負は清水組です。
建築工藝叢誌第二期第二冊に出ています。

この本は汐留の先の建設産業図書館にオリジナルが国会図書館にレプリカがあります。
後に日仏会館としてお茶の水に移築され昭和30年代に消滅しました。永田町、お茶の水時代を通じて冩眞は多く残っています。
日仏会館が作成した絵葉書もあります(永田町時代)。

ガーディナーの洋館と吉武の洋館が同時にこの地にあった可能性は小さいと思います。最初ガーディナーの洋館に住み、吉武の洋館(弥吉、久子夫妻の家として建築)が出来てここに移り、和館の建築、山王荘全体の整備の過程でガーディナーのハーフチンバーは取り壊されたと推定されます。
山王荘の工事完成は大正8年後半で翌大正9年4月10日にご近所の閑院の宮様、時の首相原敬などを招待してお披露目の園遊会を開いていることが朝日と読売の4月11日の朝刊にでています。
園遊会の冩眞も多く残っていますがガーディナーの洋館は写っていません。
仮設舞台のある広場があり、ここにガーディナーの洋館があったと推定されます。
「奥まったところに」という記述にも合います。ガーディナーの洋館が出来た当時は入口は敷地の北側でした。

ガーディナーの洋館は約7年の短命だったことになります。
ここからが本論ですが現存の遺構は誰の設計なのでしょうか。
最初正門のアーチが長楽館とソックリなのでガーディナーかと思ったのですが、完成時期が合いません。
大正6年の建築冩眞類聚では吉武の洋館は完成していますが石垣は工事中で旧地籍台帳でも正門付近の土地は大正5年以降の取得です。
残る手掛かりは内田青蔵埼玉大教授が「すまいろん」という雑誌に「清水組(現清水建設)の遺した住宅図面からみた《洋館》の姿」ー『設計図集 住宅1907-1923』という論文を書いておられますが、吉武の洋館はこの期間に該当するので清水建設に図面が残っていないか調査したいところですが適当なコネがなく実現していません。
あとは山王荘の建築に関与した吉武長一、武田五一、岡田信一郎、ガーディナーの事務所のアーキテクトなどを当たってみるくらいしかなくて行き詰まっています。

ヒントになることがあればこのメール(hkyogoku@pop12.0dn.ne.jp)までお願いします。長文になって申し訳ありません。

投稿: きょうごく | 2008.09.07 17:25

sunきょうごくさん
アマデオさんとはすでに、メールで詳細お話済みです(^^)

このコメントは、ずいぶん前のですので…。

あらためて、ご説明いただきありがとうございました。

投稿: ドシル | 2008.09.07 23:18

アマデオさんとはお話済みとのことですが。大正初年の冩眞があるという村井邸というのは吉武の村井邸と思われます。その次のドシルさんのコメントのあの洋館も吉武の洋館ですが、「建築世界」に載ったことはない筈です。もし載っていれば号、卷を教えて下さい。本館と新館の呼称はあり得たと思います。和館が完成したのが大正8年の5月(戸田組社史)で和館に引越してからガーディナーの洋館を取り壊して全体を整備しても翌年の4月に完成披露に間に合うと思います。勿論吉武の洋館も大邸宅なのでこれも使用しながらガーディナーの洋館をもっと早く取り壊すことも考えられます。大正2年から8年の間は両方あった可能性があります。位置的には共存可能だったガーディナーの洋館が短命に終わったのは再婚された山茶花の局薫子さんが先妻の故宇野子夫人に繋がる邸宅を好まれなかったと云うのが下司の勘ぐりです。

投稿: きょうごく | 2008.09.08 11:38

>きょうごくさん

あのコメントはすべて過去のものですので、
当時と今では認識が違います。
詳細はメールでお願いします。
当時の私のコメントにある「建築世界」は1912年6月号のことです。

きょうごくさんにはすでにご連絡差し上げたとおりです。

投稿: ドシル | 2008.09.08 12:31

メールアドレスが間違っていたので訂正します。
hkyogoku@pop12.odn.ne.jp

投稿: きょうごく | 2008.09.13 08:24

ドシルさんのお陰で、きょうごくさんとお目にかかることができました♪
ありがとうございます。

葉山の件はお聞きになりましたよね?

投稿: アマデオ | 2008.09.23 08:01

>アマデオさん
葉山の件、ご連絡いただきました。
外国人の設計だろうとは思っていましたが…。

きょうごくさんとお会いできてよかったですね☆

投稿: ドシル | 2008.09.23 08:32

ありがとうございます。本当にドシルさんのお陰です(^^)

ドシルさんにも後日、資料をお送りしますね!

上六番町にもガーディナーの家があったようなのですが、写真がみつからないです。探してはみますが...。

投稿: あまでお | 2008.09.23 09:07

>あまでおさん
私は、ただここで情報提供を求めただけですのでsweat02

反応してくださったアマデオさんやきょうごくさんが、ご自身の力で引き寄せた結果だと思います。
少しでも関われて、光栄です☆彡

投稿: ドシル | 2008.09.23 22:08

永田町一丁目17の村井邸は樺山愛輔から譲り受けたとコメントしましたが、正確には17番地の6、8の土地をを譲り受けたもので、樺山邸(白洲正子の生家)は北側の17番地の5にあったことが地籍台帳、地籍地図の分析から分りました。両者は大震災までは同時に存在したと推定されます。訂正します。

投稿: きょうごく | 2009.02.17 20:46

footきょうごくさん
訂正ありがとうございました。

投稿: ドシル | 2009.02.18 12:21

日比谷高校の校舎改築の話が急速に進みだしました。旧講堂など岡田信一郎の旧校舎のイメージの復活を願っていたのですが、どうなるか分りません。それどころか旧村井邸の生き残りの資料館も危なくなってきました。
今のところ改築の範囲外となっていますが、工事に邪魔ならすぐに壊されそうです。石垣や煉瓦の塀も含めて貴重な文化遺産です。村井吉兵衛で検索に掛かるブログに載っているのでドシルさんも見て下さい。

投稿: きょうごく | 2009.02.20 16:31

footきょうごくさん
情報ありがとうございます。
校舎の改築・改修ですか。
さっそくブログを拝見します。

投稿: ドシル | 2009.02.21 11:12

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