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2007.09.29

手話の理解

京浜東北線関内駅の近くに、横浜指路教会があります。
重厚な雰囲気があり、とてもすばらしい歴史的建造物で私も好きな建物のひとつです。

この教会のホームページの中に、伝道師さんによる2007年3月4日の夕礼拝の際の説教が掲載されています。(LINK
タイトルは「「耳を開いてくださる主」です。
まずは、この内容を上のLINKから飛んでご覧にただきたいと思います。

伝道師の方らしいお言葉ですね。
そして、同じ流れを汲む教えを行っているのでしょうか日本で唯一の私立の聾学校である「日本聾話学校」についても、お話されています。
事実、この学校の指導方法や努力はすばらしいものがあると思います。(私の見学日記はこちらです。)
この学校を選び、ここで学んだ多くの方は満足されていると思います。それは否定しません。
聴覚口話法で指導していますが、読話や発音訓練を勉強の時間を割いて行うことはしていません。
子供たちへの情報保障には十分な配慮がされていると思います。
学校として、手話そのものを否定しているわけでもなく、ろうの両親のためには手話通訳をつけてくれます。

手話で教育し、第二言語として書記日本語を学ばせようと尽力されている方たちも、聴覚を生かした教育を否定しているわけではありません。ただ、教育方法の選択肢は多い方がいいということです。
日本にいながらインターナショナルスクールを選択するように、英語で授業を受けることを選べるなら、手話で教育を受けることが選択できてもなんの問題もないと思います。

私がこの説教を拝見して引っかかったのは、以下の文章です。

手話というのは、言葉に比べて表現出来ることが限られますし、そもそも、手話が分かる人にしか言いたいことを伝えることは出来ません。又、言葉は、私たちが物事を考えるために不可欠なものです。人間が人格的に成熟するのは言葉を聞き分け、それによって考え、表現することによってなのです。ですから、言葉を獲得し、それによってコミュニケーションが出来るようになることは耳の不自由な人にとって良いことであるに違いありません。(中略)現在は手話がブームになっています。

ああ・・・。
伝道師さんであっても、手話への理解がまだまだ普及していないのですね。
真意は定かではありませんが、この文章から手話は言語ではないというニュアンスを私は汲み取ってしまいました。
「手話というのは、言葉に比べて表現出来ることが限られますし」それは、手話ができない人の考え方ですね。
私も日本語が母語ですから、日本語以外の言語を使うとき、たとえば英語でも表現は限られます。
自由自在になんでも話せて読めて、書けて・・・とは行きません。

「手話が分かる人にしか言いたいことを伝えることは出来ません。」
日本語だって日本語がわかる人にしか伝わりません。
どんな言語も同じです。
これを言い出すと、すべての少数言語を否定することになりかねません。
もちろん、日本で暮らす以上国籍・人種を問わず日本語の読み書きを習得したほうが便利です。
ですが、日本語が話せるかどうかと言語を獲得しているかということは別のことではないでしょうか。

外国人が、日本語を話せなくても言語は母語で獲得しています。
その獲得している言語のルールでコミュニケーションは取れるのです。
そもそも手話が言語であるのですから、「言葉を獲得し、それによってコミュニケーションが出来るようになることは耳の不自由な人にとって良いことであるに違いありません」というのはなんだか、違和感を感じます。

これは今年の3月の説教ですので、今も同じお考えなのかどうかわかりません。
ですが、国連で手話が言語であると認められたのは昨年のことです。
指路教会では、信者にろう者がいた場合手話での会話は言語的コミュニケーションだと認めてくださらないのでしょうか。今の時代、そんなことはないと思いますけれどなんだか残念なお話です。
伝道師の説教に「残念」だなんて、罰当たりかしら^^;;
でも、宗教的な内容に対してではなく、あくまでも手話の理解についての部分だけですので・・・。

ちなみに、関西学院大学では来春から日本手話を数ある外国語と同様に第二外国語として選択可能になるようですし、香川の四国学院大学では外国語の選択科目に日本手話の他にアメリカ手話(ASL)もあります。

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コメント

うちの学校では年に一度、色々な教会の牧師さんを呼んで父兄向けの講演会をやっていますが、おそらくここの教会の牧師さんも来たことがあるはずです。

だから学校名が取りあげられているのでしょう。
交流をしていく中で、その教育法について賛同するようになったのだと思います。

手話についてですが・・・
たぶん、牧師さんは知らないでしょう。
何を持って「手話がブーム」といっているかは分かりませんが、講演会の内容は
「障害を受け入れ、がんばって生きていきましょう」
のような内容だったと記憶しています(宗教的なことはわすれました(^^;))。

ドシルさんの感じたことをそのまま、この教会に伝えてはいかがでしょう?
教会なんだから、何かしらの回答はあるはずです(そう信じたい)。

ドシルさんは理解がある方なので何も心配していないのですが、口話教育、手話教育それぞれを熱心に進める方たちが、それぞれに対して無知がゆえに非難し、あるいは憎しみあうという状況は避けたいものです(一部、ネットの世界では既にそうなっているのが残念ですが)。

投稿: めたぼん | 2007.09.29 15:09

★ めたぼんさん
なんだか切ないですね・・・。
私、この伝道師さんの説教を読んでかなりショックを受けました。
これが、ろう者や手話とかかわらない方の感覚なのだと・・・。

指路教会のサイトを拝見すると、「牧師」さんと「伝道師」さんがいらっしゃるようで、この説教は伝道師さんです。
それぞれのメールアドレスもHPに掲載されているので、メールをしようか、それとも「障害者の権利条約」に関する資料をお渡しできる形にして教会にお伺いしようか考えています。

伝道師さんの説教によると、初めて日本聾話学校の児童とあったのは、伝道師さんが小学生のときの夏休みに日本聾話学校へワークキャンプへ行き交流したとあります。
そのとき、その学校の児童たちの発音が理解できなかったことも記されています。

伝道師になられてから、また学校のそういった講演へ行かれたことがおありなのかもしれませんね。

私はろう教育の専門家ではないので、それぞれのいいところを取り入れて子供の適性にあわせればいいのに・・って思います。
何が大切かというと、子供が子供らしくのびのびと「言語」を習得し、学ぶ楽しさを知ることができる環境作りではないでしょうかね^^;;

投稿: ドシル | 2007.09.29 17:43

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