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2007.09.29

ミャンマーのコト。

反政府デモに対する軍事政権の武力行使で、日本人ジャーナリスト長井健司さんを含む被害者がでました。
私はミャンマーのことを、よく知りません。
「ビルマの竪琴」のイメージとアウン・サン・スー・チーさんが長く軟禁されていること、民主化が進まない国であること、日本がODAで多額の支援をしていること、敬虔な仏教徒が多いこと。・・・これくらいが私のミャンマーの知識のありったけです。

そこに、ほんの少しだけ先日の全神奈川ろうあ女性のつどいでミャンマーへシニアボランティアへ行っていたご夫妻のお話と映像がイメージとして加わった程度です。

ろう者と聴者が一緒に活動している劇団「あしたの会」には、東南アジア研究会というのがあり、そこで2006年12月から今年の1月にかけて劇団の方がミャンマーにあるヤンゴンろう学校などを訪問しています。(LINK)

ヤンゴンといえば、ミャンマー一番の都市であり、現在軍事政権による武力行使が行われている町であり、日本人ジャーナリストが銃弾に倒れた町です。
ろう学校の子供たちは、どうしているのでしょうね。

ミャンマーは敬虔な仏教徒が多いので、僧侶は特別な存在だと聞きました。
軍事政権下においてもそれは同じで、僧侶には危害を加えられないようです。
軍の方たちは仏教徒ではないのでしょうか。
どうして、仏教徒が多いのに民衆に銃口を向けたりできるのでしょうか。

歴史的に宗教による戦争が多いことを考えると、宗教の信仰と民衆の犠牲や戦争、内紛は関係ないのでしょうか。
ミャンマーの現状は、宗教闘争ではありませんが、TVや新聞で見るヤンゴンの様子はとても仏教徒が多く暮らす町には見えません。

戦争は嫌です。
何の罪もない人々ばかり犠牲になり、絶望感を味わい、憎しみを増幅させるばかりで何も生み出しはしないから・・・。
ミャンマーが民主化されるためには、民衆と軍事政権との争いが避けて通れないのでしょうか。
何年、こんな理不尽な状態が続くのでしょうか。
国連も国際社会も傍観するしかないのでしょうか。

ミャンマーの映像が繰り返されるたびとても虚しい気持ちになります。
どんなに虚しさを感じても、私にはどうすることもできないのですが・・・。

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