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2009.04.28

足裏の耳のツボから考える「ろう文化」

昨日行ったリフレクソロジーで、足の薬指がものすごぉく痛かった私。
しかも両足、激痛に近い痛さがありましたwobbly

私が激しく痛がった場所は、「耳」のツボなんだそうで『耳鳴りとかしませんか~?』と言われましたが心当たりはありません。
時々めまいがすることはあるけれど、今のところ耳に異常はない・・・と思います。

でも、以前足裏のとても痛いところが子宮関係のツボだと言われたことがありその数年後に手術をしたことがあるので、なんtなく嫌な予感^^;;;
少なからず、手話を覚えた私は将来、加齢で難聴が進行してもろう者の友達や聴者でも手話ができる友人がいるので怖くない~なんて思っています。
私が聞こえなくなったら、手話通訳はできなくなるけれどsweat02
でも、聞こえないことで友達もいなく孤立するという不安はありません。
それは、耳のツボが痛かったから聴力は大丈夫なのかしら・・・と思った今日も同じです。

でもね、聴こえる社会で育って日本語の方が手話より得意な私が聴こえなくなってもろう者ではないことは変わりなく、手話より文字情報が大切だと思う可能性もあるなぁなんてふと思ったりもしました。
もし聴こえなくなっても、友達には困らない。でも、電話ができなくなって仕事ができなくなって・・・と、「今の生活」から大きく変わることは容易に想像ができるので、将来の失聴に不安はなくても「今、すぐ聴こえなくなって生活が変わったら・・・」と考えると、やっぱりショックを受けている自分を想像するし仕事ができなくなって淋しい気持ちになっている自分も想像できてしまいます。

そう思うとろう者同士は、やっぱりろう者だから分かり合えるメンタルな部分、共通体験があって中途失聴とはまったく違うんだろうなと当り前のことを改めて思いました。
「ろう者」の感じ方、「ろう者」の生活スタイル・・・それはやっぱり言語獲得前から聴こえないからこそのものなんです。

大人になって手話を覚えた私が聴こえなくなってもろう者ではないので、本当の意味でろう者を理解することはできないんだろうなぁ・・・なんて耳のツボが痛かっただけで壮大に思いめぐらせてしまいました。
完璧にわかることはなくても、少しでも理解できたらいいなと思います。

「わかっている」と思いこんだときから、本当にはわかっていないんだ・・・というのは、私が感銘を受けたとある方のお言葉。
「わかりたい」と努力しつづけることが大切で、「わかった」と思い込んだ瞬間からまったくわかっていないのと同じなんだと思います。
自分以外の人を100%完璧にわかることなんて、聴者同士だってありえないですもんね。


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