マジョリティ・マイノリティ
松尾清憲さんの歌に同じタイトルの曲がありますが・・・(笑)
そのお話ではありません^^;
日本は原則、大和民族だけの国だという意識がどこかにありませんか?
今は外国人がずいぶん増えたけど、一言語だけつかう一種族の島国。
実際には違うけれど、なんとなくそんな雰囲気になっていたりします。
私もどこかでそんな風に思っていたような気がします。
北海道にはアイヌ民族がいてアイヌの文化や言語が存在したけど、そんなことを気にする日本人はごく少数。
沖縄には琉球王国があって、明らかに大和民族とは違う文化と言語があったはずだけど、それもなんとなく「日本」の一部で終わってしまっている感じ。
他にも少数民族がいたと学んだことがありますが、一般には知られていません。
私は手話を掘り下げて学ぶようになってから、「マイノリティ」ということをいろいろと考えるようになりました。
マジョリティの中にいて、それが当り前の時はまったく考えもしなかったことです。
私の実家は北海道なのでアイヌコタンでアイヌについて知り、興味を持ちましたがその本質に目を向けることもなく、ただ「観光地」としてしか見ていなかったことも今となっては悔やまれてなりません。
手話を母語とするろう者は、今の日本では「マイノリティ」。
マイノリティの考え方・感じ方を知るにはその懐に飛び込む必要があると思うので、私は手話がよくわからなかった頃から、ろう者の中に聴者1人というシチュエーションに出くわすことが多かったです。
そんな時は、聴者がマイノリティでろう者がマジョリティになります。
話がわからないのは聴者だけ。
ろう者は楽しそう。
そんな光景を何度となく見ながら、いろいろと学んできました。
私は手話を学ぶ人には一度そんな疑似マイノリティ体験してほしいと思うのです。
淋しく思って嫌がる人もいますが、「この話についていけるようになるぞ!」って頑張れる人もいるはずです。
私は後者の方でしたが・・・。
手話が読めるようになり、疎外感までは感じなくなった今でも、ろう者だけの中にいるとところどころで、ちょっとした感じ方とか視点の違いを見つけることがあります。
耳の文化と目の文化。
お互いを知り、お互いを認め合うことができたらいいのになと思います。
ろう者だけの中にいて、私がなにか発言すると「聴者はそうなの~!?」みたいなことがあるけど、私は聴者代表ではありません^^;;;
逆もまたしかり。1人のろう者がろう者の代表ではありません。
世代や出身、性別などで手話表現だって違います。
「この表現じゃなくてはいけない」なんてことはないことを、私たちは肝に銘じる必要がありますね。
マジョリティとマイノリティ・・・。
奥が深くて、難しテーマです。
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