手話通訳技術など。
「手話ができると手話通訳ができるは大違い」というのは、異口同音に言われ続けていることです。
それにしても、デキル手話通訳者の脳みそってどうなっているんでしょう。
キャリアが違うとか勉強方法が違うとか日々の努力が違うとか色々あるのですが、読み取り通訳にしても聞き取り通訳にしても、脳の回転数が違うように思います。
ろうあ運動が盛んな地域の通訳者は、ろう者とともに活動はしているけれど、通訳技術は高くないことが多いなんて言われることもあります。
逆に、ろうあ運動にさほど熱心じゃない通訳者が多い場合は、通訳技術を研鑽していて高度な内容にも対応できる人が育っている場合もあるなんて言われます。
どっちもどっちなような。。。
運動も大事。地域のろう者がいて運動があるのだから。
かといって、行政交渉の時など対等に交渉するための日本語力、手話から日本語への翻訳力や日本語をどう借用するかというのは、かなり重要な技術なわけで、そこができないと過干渉な通訳者になるような気もします。
過干渉通訳者...情報の橋渡しをするのではなく、ろう者の代弁者になってしまい、「通訳者」じゃなくなってしまうということですね。
「手話通訳者」って一言で言うけれど、やっぱり専門性というか得意分野ってあると思うし、それを自分で知って極めることは大切なことだなぁって思います。
読み取りをする場合、正しい日本語を選択するわけですから、その分野の専門知識というか専門用語の知識が必要です。
公の場の言葉遣いといわゆるコミュニティ通訳の場合とは、日本語の語彙選択が全く違うから両方やっているような通訳者だと、どちらかかの語彙に偏りを感じ違和感があるのかもしれません。
研究発表とか裁判所とか、専門用語そのものが日本語から借用して手話にする必要がある場面と、もっと身近な、日常生活に密着した会議とか学校の懇談会とか地域生活をろう者が営む為に必要な場面での通訳って、読み取りも聞き取りも方法が違うし、通訳者のタイプも違うんだなぁとちょっと思いました。
うまくは言えないのだけれどね^^;;
でも、身近な場面ではすばらしい語彙を選択する通訳者でも専門用語が羅列されるような場面での通訳では、ちょっとニュアンスが違うかななんて思えたりなんて経験もしました。
人間だもの、得意不得意もあるしね。
私は勉強不足なので、得意不得意もまだまだ自分で把握できていないし、そこまで通訳技術が到達していないのだけれど、なんだか手話通訳って音声言語の通訳よりも奥が深いなぁとしみじみ考えてしまった週末でした。
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