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2011.10.08

『おかあさんは手話通訳者』

古い本のご紹介記事が2つ続いて恐縮です^^;;
今回は、前からぜひ読みたいと思っていた「おかあさんは手話通訳者」という本。

Nishikawa

この本の著者は札幌の西川式子さんです。
西川さんは1979年から1991年まで札幌市専従手話通訳者をされた方で、日本で初めて頸肩腕を発症し、手話通訳と頸肩腕の問題に関して様々な取り組みをされた方です。
通訳者の健康問題について学習すると必ず、札幌の専従通訳者について最初にでてくると思います。
それが西川さんです。
当時は今と違って、手話通訳と頸肩腕の問題や通訳者の健康問題についてまったく理解がなかったので手話通訳者のパイオニアである西川さんは想像を絶する苦労をされています。
聾者や手話への偏見も多い時代だったようです。

西川さんが初めて、札幌市の専従通訳者になったときにはたった1人の手話通訳者として孤軍奮闘されていましたが、2度にわたる重度の頸肩腕に苦しんだのち、複数配置がされるようになり退職される時には6人の専従手話通訳者がいたそうです。

私が子どもの頃に見ていた坂本九さんのTV番組に登場していた手話通訳者は、この6名の方の中にいらしたのかもしらないなと思います。
札幌市では当時から専従通訳者以外に登録手話通訳者もいたようですが。

1979年に市の専従手話通訳者が誕生したことや、80年代にはTV番組に手話通訳がついていたことからも分かるように、札幌では比較的手話通訳の普及が早くから行われていたように感じます。
2010年4月1日現在で、市の専従手話通訳者は10名、登録手話通訳者56名だそうです。
ただ、札幌市の場合は「専従」といっても市の正職員ではなく、第二種非常勤嘱託のようです。
現在は、石川県他複数の自治体で市の正職員の採用条件に「手話通訳士有資格者」が受験条件になっている等、更に状況は変わってきていますが、当時としては市の非常勤嘱託といえども札幌市が手話通訳者を雇用したことはかなり画期的だったと思います。

また札幌市内には、市立札幌病院や勤医協札幌病院など病院職員として手話通訳者がいる医療機関があります。これまた画期的。
西川さんの本の中にも、西川さんが専従手話通訳者だった頃にすでに病院に手話通訳者がいる話がでてきます。
そういう点では、札幌はかなり進んでいたと思います。

「おかあさんは手話通訳者」を読むと、昔の手話通訳の難しさが今以上だったことがよくわかります。
だって「手話」そのものが社会に受け入れられていない時代だったのですから。
病状の差こそあれ、札幌の専従通訳者は複数頸肩腕の症状がでていたようですので、業務の過酷さが伺えます。
またミニファックスが普及しは当時のお話などもかなり興味深く拝見しました。

今はメールもファックスもあるのが当たり前なので、あらためてこの本で当時の生活をより具体的にイメージできました。
そして思うのは、手話精度など大きく前進した部分はあるものの、当時とまったく変わらない問題も多くあるなということです。
印象的だったのは「手話通訳者への信頼を自分だけへの信頼として、自己過信に陥ってはならないのは言うまでもないでしょう。」という一言です。
今でも変わらないことですが、当時は特に手話通訳への理解が足りなかったので、余計に手話通訳者の信頼を関わるみんなで作り上げることが大切だったのだと感じました。
聾者からの信頼。聾者の家族や一般社会からの信頼。

事例研究にも使えそうないくつもの西川さんの体験も考えさせられるものばかりでした。
1995年に発行された本ですが、手話通訳の変遷を知る上で参考になることが多くありました。

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