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2011.12.13

尊重されるべきもの。

巷には時折、極論をまことしやかに一般論のように語る人がいたりします。
例えば、著名な方のある発言の一部分だけを、大衆紙の電車広告の様に持ち出してそこに自分に都合の良い解釈をつけて、第三者へまことしやかにふれまわるなど。

主張している人たちの考え方は、一般に販売されている多くの書物を読んで正しく受け止めれば、歪んだ感情は起らないはずなのに、歪んで受け取った人が歪みを強調しているから変な尾ひれがつくというのが「噂」の出来るメカニズムなのかもしれないと思います。

「日本手話」も「日本語対応手話(手指日本語)」もどちらも大切であり、どちらも必要としている人がいるのです。
どちらかしか使えないからといって、それを責められるべきものではありません。
コミュニケーション手段として、必要なものです。
昔は「手真似」と言われて差別されていた「日本手話」。
今でも、日本手話は表情が大きくてみっともないと言う人もいます。
そんな人は魅力が分かっていないなぁと思って構わないことにしています。

そして、日本語の文法に合わせて手話単語を表出する日本語対応手話(手指日本語)。
こちらは、日本語の話し言葉に合わせて使用できるので日本語をマスターしている人には覚えやすくお手軽です。
「翻訳」せずとも、音声言語の内容がある程度理解できると思います。
音声言語にある抑揚やイントネーションは分かりませんけど^^;;

日本手話とか聾的手話とか伝統的手話とかいろんな言い方がありますが、こちらは日本語の文法とは異なる部分が多くあり、独自の言語体系を持つと言われています。
そこには聴者の文化と聾者の文化それぞれの背景によって、違って来る言回しもあり日本語で育った聴者の私には日本語にしにくい部分も多くあります。
でも違うから面白いと感じます。

どちらが良いとか悪いとかはありません。
どちらも差別されてはいけないし、どちらが優れているというような優劣もありません。
みんなが両方使えれば便利ですが、私たちが「英語が話せると便利なのに」と思ってもなかなか英語を日常的に使いこなせるようにならないのと同様に、手話で思考する人は日本語と同じように表現する「日本語対応手話(手指日本語)」をずっと見ていると疲れるみたいですし、日本語で思考する私たち聴者やちょっと聴こえる難聴者や成長過程の途中で聴こえなくなった中途失聴者には、日本手話の文法は分かりにくく習得しにくいという側面があります。

それは、文法が違うからしかたがないことです。
「言語学」的に見て違うものなだら仕方がないんだと思います。
違っていいじゃないですか。

どちらを主たるコミュニケーション方法にする人も自分の主たるコミュニケーションに自信と誇りを持てばいいと思います。
私は中国語も韓国語も分かりません。
できたら便利だなと思いますが、これらの言語と比較して日本語が劣っているとも思っていません。
言語は対等だと思います。

だから、「日本手話ができない奴とは話はしない」と極論を言うような人は自分の都合のいいように勝手に解釈しているだけの人なので放っておきましょう。
日本手話を言語として研究している人は、私の知る限り誰1人として対応手話(手指日本語)を否定も差別もしていませんし、相手が日本手話ができなければ相手のコミュニケーション方法に合わせてくれでしょう。
でも、手話通訳者に対しては音声日本語を瞬時に日本手話に翻訳して表出したり、日本手話を正しく読み取り、適切な日本語へ通訳する技術を身につけることを求めていると思います。

通訳者が正しく通訳できなければ、日本手話話者の言葉はマジョリティには伝わらなくなってしまうのですから・・・。
そして、通訳者の多くは日本語が母語なのですから日本語の文法通りに手話単語を表出する方が、早くマスターできるのだと思います。
だから、難しい方からチャレンジして日本手話で通訳できるようになったら、その後の訓練で比較的楽に対応手話(手指日本語)でも通訳できるようになるという考え方なんだと感じます。
通訳者にそれを求めても、日本手話話者に対応手話(手指日本語)を強制したり、対応手話(手指日本語)のみでコミュニケーションを取っている難聴者に日本手話を強制したりはしていません。

結局、通訳者はプロなんだから両方できるようになりなさいってことですね。
どちらも尊重されて当たり前なんですから。

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手話言語・ろう文化」カテゴリの記事

コメント

ドシルさんの考えを聞くとほっとします^^
当たり前のことが当たり前のように行われることが普通ですよね。
でも、意外と難しいのかもしれません。

投稿: めたぼん | 2011.12.13 05:31

sunめたぼんさん
当たり前のことだと思うんですけどね^^;;
「言語学」としての研究対象が日本語と文法が異なる方へ向き、分析したいと考えるのも分かります。

「言語学」と「コミュニケーション方法」は違うと思うのですがそこがごちゃごちゃになって大混乱している気がします。
「触手話」と「指点字」でこうした問題はおこらないのに、どうしてこうなるんでしょうね^^;;

投稿: ドシル | 2011.12.13 08:25

勉強不足ですが、「手指日本語」って学問的に認められた用語なんですかね? この名前で自分たちの使ってる手話を呼ばれることに不快感を感じる方もあるので、個人的にはあまり広まって欲しくない言葉です^^;。
もちろん「日本手話」を「日本語対応手話」と一括りにされることに不快感を感じる方の気持ちもわかりますが、「手話言語法」への取り組みをきっかけに溝が深まらなければいいなと思います。

投稿: non | 2011.12.13 12:42

sunnonさん
「手指日本語」は学問的に公式に認められいる用語という訳ではないと思います。
便宜上、こういう呼称を使うというかたちで一部の論文などでは使用されていると思いますが。
一部書籍にも以前から使用されています。

「手や指で日本語の意味や音を表出している」というニュアンスの造語だと思います。

どんな名称が定着するか分かりませんが、「手話」を日本語と異なる文法を持つ独自の言語と解釈する場合、「日本手話」は日本で使用される手話言語で、対応手話は日本語をベースにしているから「手指日本語」なんだと思います。

この言回しに不快感を持つ方が多いなら、「手話日本語」とかなら手話を借用した日本語のニュアンスになるからいいのかもしれません。
「対応手話」だと最後が「手話」なので言語学的に異なる体系を持つ手話と紛らわしいという考え方から来たネーミングみたいです。

逆に「日本手話」という言い方を変えて「日本手語」とする案も出たみたいですよ〜。

いずれにしても過渡期なので、そのうち何かが定着して何かが使われなくなるんでしょうね。

私は日本語は「音声と文字と手指で表現できる」とかが当たり前になったらいいなと思ったりますしますけど。
「手話」という言葉も、昔はなかったので、今後どうなるか興味のあるところです。

個人的には、名称はともかく両者が別物である以上、学術的にはなにか誤解されないような名称で分ける方がすっきりするのかなと思う反面、地域で生活している聾者達は無意識に使い分けをしているので、一般には分ける必要がないのかもしれないなぁとも感じます。

問題は複雑で、様々な感情も絡まっていますね。
以下のブログのご意見、ぜひご覧下さい。
http://bunbun6610.exblog.jp/12966900/

投稿: ドシル | 2011.12.13 13:30

ご無沙汰しております。少々質問をさせてください。

>著名な方のある発言の一部分だけを、大衆紙の電車広告の様に持ち出してそこに自分に都合の良い解釈をつけて、第三者へまことしやかにふれまわるなど。

いけませんか?一部分だけを取り上げるツールを使って世の中に出すのであればそのようなことも起こりうることは承知の上だと思いますが。

>一般に販売されている多くの書物を読んで正しく受け止めれば

日本手話主張者ではない、もしくは日本語対応手話を使われている方が執筆されている書物をご呈示いただけますでしょうか?また、「正しく理解をする」というのはどういったことでしょうか。

>「言語学」的に見て違うものなのだから

具体的にどのように違うのかをご説明いただけますか?

最後に。

手指日本語と呼ばれることそのものに抵抗を感じる方(「歪んだ感情」をお持ちの方でしょうか)にどのように説明されるのでしょうか?


お答えいただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。

投稿: ウメ | 2011.12.15 22:10

sunウメさん
ご無沙汰しています。
コメントありがとうございます。

ウメさんのご質問内容、一部分からないところもありますが、可能な範囲でお答えしたいと思います。

まずひとつめ。
一部だけを取り上げるツール云々ということは私は考えておりません。
(何故、そう思われたのかが私が分からなかった点です。)
私が思ったのは、本文中にも書いてあるように、誰かが「日本手話は聾者の言葉だ」と言うと、「日本手話ができない奴とは話はしない」と極論を言い出す方などを指しています。

私は経験がありませんが、友人の難聴者や聴者にはそのように聾者に言われて冷たくあしらわれたという経験がある方もいます。

次の2番目の質問にも関係しますが私が考える「正しく理解する」ということは、誰も日本手話以外を使ってはいけないとか対応手話を排除すべきとは言っていないにもかかわらず、自分の都合のいいように解釈している方々は大いなる誤解をしていると感じています。
そこを正しく理解する必要があるのではないでしょうか。

逆に、対応手話を排除すべきと書いてある論文や書物があればご教示ください。

>日本手話主張者ではない、もしくは日本語対応手話を使われている方が執筆

はっきりと著書としてあるかどうか分かりませんが、神田和幸先生のお考えは日本手話主張ではないと思います。
ただ神田先生が日本語対応手話を使われているかどうかまでは私は存じません。
神田先生の主張も伺うと色々と興味深いです。

言語学的にも両者は同じとお考えですか?
まったく文法構造が異なると私は思いますが。
対応手話は日本語の文法に合わせるから「日本語対応手話」とか「同時法」と言われたのだと思います。
しかし、日本手話とか伝統的手話と言われているものは日本語通りには表出しないと思います。
その時点で別なものだと考えます。

また「みんなで作る手話言語法」のパンフレットにも「手話は日本語とは異なるが日本語と対等な言語」「独自の言語体系を有する」と書かれています。

文法が違うということは言語学的に違うものだと私は思っています。

最後のご質問ですが、アメリカでは英語文法の通りに表出するものを「singed english」と言い、英語の文法とは違う表現を「American Sign Language」と言うことはご存知かと思います。

私は「手指日本語」という単語を見る以前に「singed english」の訳語として「手指英語」というものを見ていたので特に違和感を感じませんでした。
しかし、聴者でも難聴者でもろう者でも「手指日本語」に不快感がある方がいらっしゃるということであれば、「singed english」を翻訳する単語も含めて検討すれば良いかと思います。
それは、自然に定着するものが決まるのではないでしょうか。
なので私はこの記事ではあえて「日本語対応手話」にかっこして手指日本語と書きました。
「手指日本語」とだけ書くことには若干の抵抗がありましたしかといて、「日本語対応手話」としか書かないのも気が引けたので。
逆に「手指日本語(日本語対応手話)」という書き方もしっくりこないという個人的な想いからです。
あ、ちなみに「歪んだ感情」も先に挙げたように、極論に走る方を指しているつもりです。

最初に「手指英語」と訳したのがどなたかは分かりませんが、手話を研究している聴者が書いた「基礎から学ぶ手話学」の中にも「手指英語」という表現が出て来るので、研究者の中では以前から使われていたのかもしれません。

用語については専門家の判断にゆだねるべきかと思っています。
当然、当事者の方々が意見を言う機会はあって然りかと思いますが。

長くなりすみません。
私がお答えできるのは現在はこれくらいです。

投稿: ドシル | 2011.12.15 23:45

早々にお答えいただきましてありがとうございました。

ひとつめ。
140文字で区切られる、RTできる、という観点から見てもそのようなツールだと思いますが、そこは考え方の違いですね。

ふたつめ。
>誰も日本手話以外を使ってはいけないとか対応手話を排除すべきとは言っていないにもかかわらず

本では言っていませんが別のところで言っています。書物だけを読んで「正しく理解する」のは偏っているのではないでしょうか。その著者がどのような主張をしているのか、が気になるのはごく当たり前の感情だと思いました。「排除」の件、少なくともリハではそう言われましたが。

みっつめ。
私は言語学がわかりませんのでお聞きしています。>「言語学」的に見て違うものなのだから

とはっきりおっしゃったのでお聞きしたまでです。両者が違うものではあるのは承知しているつもりです。

最後。
おっしゃる通りですね。呼称についてはこれからもっと当事者の意見を聞きながら議論をしていければ良いと思います。

ありがとうございました。

投稿: ウメ | 2011.12.16 09:42

sunウメさん
こちらこそご意見、ありがとうございます。
ウメさんのご経験からのご意見ということで、念頭においておきます。

名称の件は今後様々な議論がされると思うので慎重にそれぞれの意見を聞きたいと感じています。
昨日、ウメさんからご質問があったので今日、職場で神田先生の書籍に再度目を通したのですが、「手指日本語」という言い方は1980年頃、同時法的手話、シムコム、手話付き口話、日本語対応手話などとにかく日本語文法に手話単語あてたものを総称してManually Coded Japanese (MCJ)とし、その日本語として「手指日本語」と表記したようです。
私はSinged Japaneseの訳語かと思っていましたがそれを含む総称の訳として最初に使われたようです。

投稿: ドシル | 2011.12.16 19:21

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