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2012.03.07

誰の為の...のこと。

ある親子教室の最終日の出来ごとを聴いて複雑な気持ちになったので記事にしてみます。
友人の経験談なので、私の経験ではないことをご了承ください。
その日は、友人親子(どちらも聴者)がお世話になった親子教室の最後のセレモニーの日。
その教室には子どもも、母親も先生にも聾者はいないのですが、先生方が披露してくださった歌に、何故か手話(のようなもの)がついていて、結果として「手話歌」になっていたそうです^^;;

私の友人は手話歴も長く、聾者との付き合いもあるのでその奇妙な光景に感動が半減したとか...(汗)
手話コーラスや手話歌には色々な意見があると思いますが、私は原則として手話つきの歌は好きではありません^^;;
聾者がやっているなど、時として例外があるのですが聾者が関わらないで作っている手話歌は、聾者には伝わらず、結果聴こえる人の自己満足にしかなっていないように思えてあまり好きになれないのです。
もちろん、聾者の中でも手話歌が好きな人、嫌いな人はいますので一概にどうこう言えないのは重々承知しているのですが、聴こえる人がやっている手話歌、手話コーラスの類いは私の心に響かないことが多いです(汗)

百歩譲って。
上記の親子教室の参加者に聴こえない人がいたなら、どんなに下手な手話だったとしても歩み寄りのひとつの形として評価できるのかもしれません。
通じる表現かどうかではなく、伝えたいと思って考えてくれたことならステキな一歩だと思うのです。
でも、聴こえない人が誰もいない空間で手話歌をやってもやっぱり自己満足なのかなぁなんて思うのでした。

小さいうちから手話に触れるのはステキだけれど、どうせなら聴こえない人が使っている手話がいいななんて思うのは欲張りなんでしょうかね^^;;
先生方も色々がんばっているんでしょうけど。

ろう学校の幼稚部などで手話を取り入れていないところもまだあると聴きますが、一方では聴者社会の中で手話は市民権を得て、聴者しかいないところで使われているんですね。
なんだか複雑な気持ちです。

手話歌の手話を手話だと思わないで手話をモチーフにした振り付けだと思えば、一緒に楽しめるのかなぁ...。
でも気分はなんだか複雑です^^;


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手話言語・ろう文化」カテゴリの記事

コメント

少し前まで、手話を見ると変な目で見られたり、
手真似は恥ずかしい、と言われて人前で堂々と
手話を使えなかった…なんて話を聞くと、
身近にあって当たり前のモノとして「手話」が
定着してくれるなら、最初のキッカケとして
手話歌もありなのかと思ったり。
(でも、やるからには少し手話話者に伝わる様な
表現の工夫が欲しかったケド^^;;)

ドシルちゃんが聴者の手話歌に違和感を
おぼえるというのも理解できるのよね。
ろう者にとって大切な存在である「手話」を
理解して尊重して欲しいというか、単なる余興として
扱われるのはやっぱり違うな~とも思うわけです。

身近にろう者や手話がある環境の人の方が少数派だから、やはり地道に理解を求めていくしかないのかな。

投稿: cherry | 2012.03.08 17:59

suncherryさん
手話歌の問題って難しいよね^^;;
私もね、手話をはじめるきっかけは何でもいいなと思ってるのだ。
ボケ防止でも、ドラマの影響でも、かわいいろうの女の子と話したいからでも手話歌でも。
きっかけは色々あるけど、手話をはじめたら聾者を理解する、手話も聾者や難聴者が置かれている環境も知って欲しいし、知った上で続けて欲しいなぁと思います。

そこへつないでいくのは、サークルの役割のひとつなのかもしれないね〜。
けど、手話歌をやるにしても表現とかその場に聾者がいるとかしているといいなと思ちゃうなぁ...。

投稿: ドシル | 2012.03.08 22:06

僕は、その問題を何時も投げかけているへそ曲がりの難聴者ですが、
難聴といっても本当に人それぞれで、同じ人であっても場面場面で全く違う聞こえ方がするのも、実は多くの難聴者と知り合って始めて知りました。

例えば、僕の場合は、マイクや小さなスピーカーを使った音が頭の中に刺し込むように響き、そのため往々にして脳味噌の中に工事現場が出現したかのような強烈な耳鳴りが残り、時には騒音(耳鳴り)によって一睡も出来ない事もあります。

そんな、おそらく僕だけの個人的な聞こえの状況を説明したとしても、サークルや講演会といった場合には、僕個人一人のために対処する事は出来ないのも事実で、やはりそのような場面では静かに自ら退場するのがいつもの癖になっています。

手話歌、それはそれで意義があるのでしょうが、僕は僕の極めて個人的な聞こえのため、大嫌いです。

投稿: 西 | 2012.03.09 12:14

sun西さん
へそ曲がりなことはないと思いますよ〜。
私の周囲でも、手話歌がキライなろう者、難聴者は多いです。
たまーに、好きだという方にもお会いしますけど。

私は正直、手話歌の意義は見いだせないでいます。
見ることにもあまり興味を持てませんし、自分では絶対にやりません。
手話歌を一生懸命やっている人を非難する気はありませんけど^^;;

西さんの場合、頭に響く不快感があるのですからそのことは、どんどん周囲に発信していいと思いますよ。
私たち聴者は、言われて初めて分かることが多いので、お互いを理解する為にも機会があればやんわりと、自分の感じ方を周囲にお話するといいのではないかと思います(^^)

投稿: ドシル | 2012.03.10 17:53

ドシルさん、初めまして。ラパンと申します。
私も同じ神奈川で手話通訳の端くれを担っているものです。

いつもブログを読ませていただくたびに、パソコンの前で「そうだよね~、わかる、わかる」と大きくうなずいております(*´v゚*)ゞ

ちょっと遅レスになってしまいましたが、非常に共感というか、同じ事を思っている人がいる~~~Σ(・ω・ノ)ノ!と、嬉しくなってしまいコメントさせていただきました。
私も、手話歌、手話に取り組む聴者に関して同じように感じていました。寂しい現実として、長年サークル活動をされている方の中にも「手話歌だけやりたい」とか、「聾者に伝わるかどうかなんてどうでもいい」というような人もいらっしゃいます。このタイトルの言葉そのままの状況がとても歯がゆく感じます。
手話歌は否定しません。Cherryさんや、ドシルさんがおっしゃるように、手話を始めるきっかけは何でもいいと思っています。ただ、手話だけに興味を持つのではなく、勉強するならその背景もちゃんと知ってもらいたいなぁと感じてしまいます。

。。。と熱くなりましたが、最近は新しく手話を始める人たちだけではなく、そういう人たちにもどうやったら少しでも背景を理解してもらえるか、目下検討中です(;´▽`A``

これからも、更新を楽しみにしております。

投稿: ラパン | 2012.03.13 01:51

 誰の為の...のこと。まったく同じ意見です。手話が何か、歌の飾りのようになっていてろうあ者に伝えるという意図がないのは哀しいことです。
 昔、母親大会があった時、「僕らはみんな生きている」という歌を1万人の人と一緒に手話と言うより身振りで表した時、みんな大感激でした。
 意味のある歌詞の歌は、リズムをつけて表現出来ますが、ただ単に手を振るだけの歌はある意味ろうあ者の人の切実な手話を軽んじているのでは、と言えば言いすぎでしょうか。

投稿: 京都の教師 | 2012.03.13 15:48

sunラパンさん
はじめまして(^^)
コメントありがとうございます。
県内の方が意外と(?)読んでくださっていて、嬉しいやら恥ずかしいやら^^;;;
今後もよろしくお願いします☆

ろう者が積極的に参加しているグループもあってそういうところはいいなと思うこともあるんですよね...。
でもろう者不在で、通じなくてもいいや..じゃそれは違うなぁと感じてしまいますよね。
この件は、なかなか難しい問題です^^;;

sun京都の教師さん
コメントありがとうございます。
手話を模した振り付けだと思えば、あまり腹もたたないので、私はそのように考えるようにしています。
手話はろう者の言葉なので、ろう者より聴者が騒ぐのもやはりなんだか変な気がしています。
だから私は、「否定」はしないけれど「自分は好まない」という考え方です。

中にはろう者が積極的に参加しているグループもあるので、そういう場合は良い関係ができていて良いのではないかと思います。

投稿: ドシル | 2012.03.13 19:24

「聴こえる人の自己満足にしかなっていないように思えて見ることにもあまり興味を持てません」・・てあの~ 健常者手話シンガーの講演のあとで彼女に「どうも~よかったです。がんばってね」と話しかけてるドシルさんを見かけました。 (?_?)

投稿: ナンチョウ | 2012.03.24 02:08

sunナンチョウさん
コメントありがとうございます(^^)
私が声をかけていたのは水戸真奈美ちゃんだと思います。
彼女に関して手話シンガーというより、被災地などでの活動そのものを応援したいと思っています。
少なくとも「自己満足」でやっているようには私には思えないので、応援していますよ。
あの時は、ろう協主催の講演会でしたし〜。
ろう協が彼女に講演と手話ソングを依頼するということは、聴者の自己満足や独りよがりの手話歌ではなく、ろう者も楽しんでいるからだと思います(^^)

自己満足に見えるかどうかは、あくまでも主観的なものなので、それについて個々の感じ方や判断かなぁと思います(^^)

投稿: ドシル | 2012.03.24 21:16

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