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2013.04.02

プロであるということ。

手話を勉強したからといって、必ずしも手話通訳者にならなくてはいけない訳ではありません。
昔は聴者が手話を勉強するのが珍しくて、手話通訳者が足りなくてとにかく手話の勉強をはじめたら手話通訳者へと自動的に勧められたようですが、地域差があるものの今のように手話通訳派遣制度はそれなりにあり、通訳資格も整備されてきた昨今では、むやみやたらに誰にでも手話通訳を勧めるというのは、辞めて欲しいなぁと思います。

理由はふたつ。
1つは、聴者の中には通訳までは考えないけど手話でコミュニケーションしたいとか、ろう者と一緒に遊びたいと思っている人が意外といるから、通訳者への道を強要しないで欲しいということ。
2つめの理由は、通訳に向く人向かない人がいるので、あまりやる気がない人や通訳者に向かないような倫理観を持っている人にまで、通訳者になって欲しくないなぁという個人的希望です^^;

まぁ、2つ目の方は誰も勧めなくても通訳者になってしまう場合もあり、トラブルを起こしたりもあるのですけれど^^;;;
守秘義務を守らないのもそのひとつだし、「ろう者のお世話をしなくちゃ!」と過剰なおせっかいをやきたがるのもそういうタイプの人ですね^^;;

最近、ろう者の友人達が異口同音に「この通訳なんとかして〜」と言っているのが、通訳を依頼して派遣されて来た通訳者が、待ち時間の間に(シチュエーションは様々ですが)根掘り葉掘り、プライベートなことや無駄話しをして迷惑だったという愚痴です。

通訳内容と関係のない、プライベートなことを質問された(実家の場所とか、住んでいる所とか)とか、「手話通訳同伴なので、普通にしていても目立つのに、通訳者が(手話が下手で)、話す時口を必要以上にパクパクして話していたから無駄話はしないで欲しかった」などなど。

この話し、ろう者側は迷惑だーーー。こんな通訳者二度と来ないで〜と思っているのですが、多分(想像ですけど)通訳者側は、知らないろう者相手に、手持ち無沙汰だったり、どんな手話をするのかみたいとか、場を和ませようとかして、話しかけているのかもしれないなぁと思いました。
通訳者が思っているほど、ろう者は手話通訳者を信用していないと私は思っています。
過去において、倫理のかけらも持ち合わせていないようなどうしようもない手話通訳者に出会い、傷ついている人もいると思います。

愚痴っていたろう友達だって、もしあれこれ話しかけて来た人が自分の仲良しの聴者の友人だったら、手話を使って目立ったとしても嫌がらなかたかもしれません。
通訳とろう者は人対人ですから、やはり人間関係が大切だと思います。
特に信頼関係が大切。
初対面のろう者にでも、「お、こいつは通訳として行けるぞ、ちょっと話し相手して試してみるか」と思われるようになりたいものだと思います。

プロであるということは、自分の置かれた立場をしっかり見極め正しい状況判断ができて当たり前だと思うのです。
そして、プロの通訳者は手話でも音声言語でもクライアントとの信頼関係が大切です。
短時間で信頼関係を築くには、それなりのコミュニケーションスキルが必要だと思っています。

手話通訳なら、情報保障はろう者にも聴者にも大切なのだから、等価の情報量で情報提供をすることと、文化的背景も考慮した翻訳が手話と日本語の間でできることが理想です。
現実は難しいですが、それに近づく努力は必要です。
プロであるならば自分にそれを課そうと思うのです。

でも、通訳がいることで直接のコミュニケーションを諦めて通訳任せにしてしまう聴者も時々見かけます。
それでは、意味がないんです。
1対1の場合は特に、お互いが理解しあう努力が大切でそれがコミュニケーションスキルの向上にも繋がります。
伝える方法は1つではないことを、肝に銘じなくてはいけません。

そして、通訳者に対してのろう者の目は、キビシイですよ。
「よかれと思って」の通訳者のおせっかいを感謝するろう者は、若い人になればなるほど少なくなると思います。
通訳側がニーズを掴んで、しっかり仕事をしないとね。

私の周囲のろう友たちも友人になれる通訳者とそうでない通訳者がいると言っていました。
友人になれるひとの場合は、「たまたまその人の仕事が通訳だった」ということで、何ら気にしないようです^^;
友達になりたくない人の場合は、通訳者じゃなくても手話学習者の場合でもそうですが、言葉の端々とか態度に何とも言えない"何か”を感じるみたいです(洗)
それは「お世話オーラ」だったり「心底では、ろう者を下に見てる」とかだったり「ろう者を手話を学ぶ道具の様に見ている(自分の手話向上の為にろう者と一緒にいたい)」とか様々なようです。
聴こえない分、行動や態度で分かるみたいです...汗。

聴者にはない力かもしれないですね。
私はプロであり続けたいと思います。その姿勢をいつも教えてくれて、意見を言ってくれ時には愚痴を聞いてくれる、優しい(?)ろう友たちに感謝です。


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手話言語・ろう文化」カテゴリの記事

コメント

難聴者から一言。

僕の状態は、言葉は約30パーセント聞き分けられます。
手話は約30パーセント読みとれます。

ですが、口語と口形と手話を併用して下さるとほぼ全て読み込め聴き取れます。
不思議ですが、言葉が聞き分けられない時でも手話が付くと、言葉として聞き分けられるのです。
そして、この時にして下さる手話は、手話通訳者レベルである必要は全くなく、例えたどたどしい手話であって大いに助かるのです。

手話は何もろう者だけの言語ではなく、私のような中途難聴者にとっても生活の向上にはとても大切な武器になっています。
日常的に、例えばスーパーにも手話で挨拶出来る方がいてくれたらどれだけ生活が潤う事かと何時も思っています。
立派な手話も大切ですが、例えたどたどしくても手話があるととても助かっている難聴者もいると言う事を知って頂けたらと思い長々と書き込みしました

投稿: 西 | 2013.04.04 12:22

sun西さん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、コミュニケーションとしての手話は、技術に関係なく大切なものです。
私の友人にも、中途難聴がいるのでよくわかります。

だからこそ、ゆっくりコミュニケーションを楽しんでいる聴者に、通訳になることを強要するのは、やめて欲しいと思っています。

手話を使いたいだけの、手話学習者なのに長く勉強していると通訳になるのが当たり前のようにいわれ、手話から離れていくひとを見ているのでかきました。

どんな手話でも、使ってくれる人口が増えると嬉しいですよね。
そういう意味もこめて、「通訳がいるから」と通訳を頼って、自分でのコミュニケーションを諦めてしまう人がいることが残念だということも記事に書いたつもりです。

それとは別に、通訳を目指して通訳者になったなら、通訳してお金をいただくわけですから、自覚が必要だと思っています。

手話が必要なのは、耳が聴こえない方々ですから、対象者のニーズを知り、答える技術が必要です。
難聴や中途失聴なら、日本語どおりに手話を出し、口形をはっきりつけるとか、日本語の苦手なろう者で日本語通りに手話を表現しても伝わらない方には、また別の表現が必要です。

どんな場面でも、通訳者としては情報の等価を考えます。
そして、多くの通訳者は日本語通りに手話を表現することはできると思います。

そういう前提にこの記事を書いていることをご理解ください。
プロとして、相手のニーズを把握する力ももちろん必要です。
個人的には、日本中の人が手話を覚えて、手話通訳者という職業が無くなればいいなと思います。

投稿: ドシル | 2013.04.04 18:42

ご丁寧に説明して頂きありがとうございました。

情報・コミュニケーションが、誰にとってもどんな状態であっても、必要としている人が最も使いよい方法が、普通にいとも簡単の選択出来る社会が出来れば、本当嬉しくなりますよね。

ドシルさんの『そういう前提にこの記事を書いている』ことを分かった上で、敢えて僕の日常を書きましたが、言葉が足りずにご迷惑をおかけ致しました。

投稿: 西 | 2013.04.06 13:07

sun西さん
コメントありがとうございます。
私の考えは、過去に書いてあるのでその前提をこの記事から、伝えられていないなら私の方が言葉が足りないのでしょう。

思った時にその都度、伝え続けることは大切なことだと思いますので、いつでもまた忌憚のないご意見やご感想をお願いします。

誰もが気軽に、必要な情報に遠慮なくアクセスできる社会にしたいですね(^^)

投稿: ドシル | 2013.04.06 19:56

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