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2015年11月の投稿

2015.11.24

通訳者の評価

あれよあれよと師走の足音が聞こえてきます。
本当に、年々1年が早くて驚きます。

さて、通訳者の評価というタイトルをつけました。
手話通訳者のみならず、どんな言語であっても通訳したら、振り返り自己分析や自己評価することはプロの通訳者として大切な作業だと思います。

いかに、客観的に自己分析ができるか!
、、重要だけどなかなか難しいです。
自分を省みると、やはりまだまだ自己分析が足りない気がします。

凹むような失敗?失態?もいまだにあります(^^;
思い出したくないけど、思い出してちゃんと振り返らないといけませんね。

とはいえ、最近はちょっぴり褒めていただけることもポツリ、ポツリとあり「できてあたりまえ」なんですが、滅多にない褒め言葉に有頂天になったりもします。
手話通訳者にゴールなし。まだまだ至らない点が多いのですが日々精進。
ろう者が見て、疲れないひとは手話表現と聴者が聞いていて違和感のない、ろう者が声を出して話しているような日本語。この2つをめざしがんばろうと思います。

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2015.11.16

エール!/La Famille Bélier

週末にパリでテロがあり、たくさんの方が亡くなりました。
日本も対岸の火事ではなく、自分もいつ巻き込まれるかわからないのだと改めて感じる事件です。

テロとは関係ありませんが、フランス映画を見てきました。
6月に開催されたフランス映画祭でも話題になった作品で、10月なね公開を楽しみにしていました。
邦題は「エール!」。原題は La Famille Bélierといいます。

まだ公開中ですし、ネタバレのない範囲で感想を書きたいと思います。
主人公は両親と弟がろう者で、家族で唯一聴者、、いわゆるコーダの女の子です。
たくさんのフランス手話が出てきます。

なかなか珍しい、「コーダの苦悩」を見られるという点ではなかなか興味深いです。
ストーリーは、特に珍しくはない田舎暮らしホームドラマと学園青春ストーリー、、という感じでしょうか。
フランス映画らしい描写もあります。

この作品、感動して涙する人と憤る人に大きくわかれるのですが、私は真ん中、、とでもいえばいいのでしょうか。
作品の世界観に入り込んで楽しむことができませんでした。
感動も憤りもなく、ただ俯瞰していた傍観者な感じでした。
なので、見終わったあとも「ふ〜ん、、」って感じでした。

作品で描かれてるいる内容に、共感もできなければ登場人物に感情移入もできないという珍しい現象のなか、観ていました。
かといって、つまらなかったわけではありません。

作品の中で描かれるろう者がなんだか、ステレオタイプで違和感があったからかもしれません。
その他、フランスのこととはいえ色々突っ込みどころはありますが、フィクションなのでそのあたりは目をつぶるとしても、なんか映画の世界に浸れないで終わったという印象でした。

少なくても感動はしませんでした。
むしろ、親の為に手話をつけて歌う場面がそこ!?と、驚いてしまったり(笑)
これ以上書くとネタバレになるので、やめておきます〜(ノ_・。)

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2015.11.10

関西弁と読み取り通訳

先日、ある小さな集まりに参加しました。
聾者も聴者も、手話ができる人もできない人もごちゃまぜの場で、集まった地域も様々だったようです^^
何人かの関西の聾者が、全体へ話す機会があり同じく関西から来た聴者がマイクを持ち、読み取り通訳をしました。

その読み取りが非常に良く、なんとも惚れ惚れとしてしまいました。
関西から来た聾者の話し方は、手話だけどやっぱりどこか「関西人」。
その雰囲気に、関西弁のイントネーションや語彙での読み取りが非常にマッチしていてとても良かったです。
通訳技術そのものも高い、素晴らしい通訳さんなんだろうとは思うのですがまじめになりすぎず、話者の雰囲気にぴったりで声も聞きやすくで感心してしまいました。

以前、京都で関東の聾者が講演したときに地元の通訳さんたちの読み取りが、京都弁(?)関西弁(?)でなんだか違和感を感じたのですが、それは話者が関東の方だからなのかなぁ....なんて思いました。
話者の雰囲気と場に合った読み取りができること、本当にそれは理想です。
逆に、私たち関東で活動する通訳者が関西の雰囲気たっぷりの聾者の読み取りをすると、きっと違和感を感じる人もいるのかもしれませんね。
かといって、似非関西弁で読み取るわけにもいかないし...汗。

思いがけず、良い勉強になりました^^

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2015.11.09

手話通訳仲間。

最近、親しい手話通訳者同士で通訳論的な話をあれこれする機会が多くなりました。
日本では「手話=福祉」という意識が今でも強く、未だに「聞こえない人を助ける為に手話学びたい」という人もいるようです。
一昔前に、「手話をやってるなんて、偉いわね〜〜〜」と言われることはなくなったような気がしていますがどうなんでしょうか。

私はよく、通訳仲間には「通訳1年目と5年目の差は大きいけれど、5年目と10年目の差は無い」と言い続けています。
いつまでも「私の方が後輩だから...」と遠慮するのはおかしいと思っているのです。
地域の登録通訳者であっても、通訳してお金をいただくならプロの通訳者です。
登録経験年数が長いから上手いとは限らないし、長いから聾者の信頼があるというわけでもありません。

5年目と10年目なら、お互いにフォローし合い足りないところを補ったり、反省のときに指摘しあったりできるような関係じゃないと通訳者として成長できなんじゃないかなと思うのです。
それは15年目と20年目も同じだし、10年目と30年目も同じだと思うんです。
30年目のベテランさんだって、苦手な分野もあれば知らない言葉もあります。
それを「自分が知っていることは先輩は知っているだろう」と思うのはナンセンス。

みんな違う経験をしてきているのですから、1年目の通訳者が20年目の通訳者をフォローできることもあるはずです。
手話通訳そのものは1人で行うもので、自分の力を磨いて学び続けることが大切ですが、通訳者は孤独ではなくチームワークなんだと思うのです。
学び合ったり、情報共有したり、お互いの切磋琢磨できるようなそんな通訳仲間、「同僚」であり続けたいと思います。

通訳者に「先輩も後輩も」ない...とは思いますが、先輩を敬う気持ちは持っているつもりです^^;;
敬いながら、学びながら。。でも、通訳現場では対等に仕事をしているそんな関係でいたいです。

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2015.11.06

諸星春那個展 『DEAFHOOD+』

Deafhood

私が「Deafhood」ということばと出会ったのは、6年ほど前になると思います。
日本語では「聾であること」と言えるのでしょうか。
ただ「聾であること」と言うだけではなく、言外に「聾者として生きる誇り」が隠れているような印象があります。
聾者のまま、聾者として生きるアイデンティティというかそういう感じです。

聾者アーティスト諸星春那さんが『DEAFHOOD+』という個展を開催しています。
明日が最終日で、場所は秋葉原というか浅草橋というかとにかく、アートラボアキバというギャラリーです。

先日、この個展へ行ってきました。
この個展、3回に分けて行われるそうです。
作品は、ろう学校やことばの教室に通ったことがある聾者なら見慣れた「発音」に関係する様々なもの。
もしかしたら、二度と見たくないと思う方もいるかもしれませんし、懐かしいと思う人もいるかもしれません。
私たち聴者にすれば、特段の思い入れがあるものではありません。
でも、明らかに聞こえない人を聞こえる人に近づけるために使われただろう、あらゆるものが並んでいました。
Deafhoodの考え方からはすべて不要なものなんだろうと思いました。

私が行った時は、手話がわからない聴者の女の子と作品のひとつである黒板を使って諸星さんが筆談をしている所でした。
大きな大きな黒板は、作品でもありコミュニケーションツールでもあるんだなぁと思ってみました。

古びた鏡も、発音する口や舌の動きを訓練した鏡のイメージなんでしょうか...。
Deafhoodについて、きっと聴者にある私には真の意味で理解することはできないかもしれません。
でも、「聞こえない」ことを病理的視点のみで判断して「聴力がかけている」と見るか、「無音の世界にる手話を使う、別の文化の人」ととらえるかで社会の聾者への見方が変わるのかもしれないなぁと思います。

彼女の、あと2回の『DEAFHOOD+』の作品を楽しみにしています。

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