カテゴリー「想い出あれこれ」の70件の記事

2015.08.16

再会

夏休み真っ只中です。
6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日が過ぎ15日の終戦(敗戦)の日も過ぎました。
70回目の夏です。
70年経っても戦争についての様々なことは終わらずにいます。
戦後70年の首相談話も出されました。
戦争を知る世代がいなくなりつつあり、戦後生まれだけの日本になるのも時間の問題です。
そんな、いつも以上に平和や戦争について考える機会が多い今年の夏。

私は久しぶりにとても懐かしい方と再会しました。
ろう者のご夫妻で、とてもお世話になった方たちです。
お2人が結婚する前から、私はそれぞれと知り合いでした。
数年前に遠くへ引っ越されたのでもう何年もお会いしていませんでしたが、この夏たまたま神奈川へいらしていて久しぶりにお会いできました。

最初に知り合ってから20年近い月日が流れています(^^;;
いや〜。お互い年をとります(笑)
それでも、変わらない笑顔と変わらない手話。

私は昔より成長したのだろうかと自問自答してしまいました^^;;
短い時間でしたが、昔からの友人の話をして懐かしんだり近況報告をしたりできて会えて良かったなぁと思いました。
2人の馴れ初めも初めて聴いたし(笑)
また、会いたいなぁ〜。

にほんブログ村ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.27

目のふるまいと目ヂカラ。

怒濤の1週間が終わりホッとしています^^;;
本当に忙しい1週間でした。

先日、友人と通訳の仕方についてあれこれ話していた時に通訳に大事なのは情報の等価性や表現力も大事だけど、「目のふるまい」が大事だよねという話になりました。
手話にかかわる「目のふるまい」は、ろう者が自然に行えるのに対して聴者はなかなかできないというなかなか難しい問題があります。

そんな話からふと、昔のことを思い出しました。
私は自分では意識していませんが、どうやら目に特徴があるようです。
「目は口ほどにものを言う」という言葉もあるように、目というのはなんらかのメッセージを出すものなのかもしれません。
大人になってからも、「目が印象的」だと言われます。
子どもの頃はそれがとても顕著でした。
私の目は、どうやらしっかり授業を聞いているように先生からは見える「目」だったようです(笑)
なので、成績が良いとよく勘違いされました^^;;;
得意なものは本当に得意でしたが、苦手なものはとことん苦手だったのですが先生にはそう見えなかったようで、テスト結果であまりにもできなくて驚かれたこともあります。

目のふるまいも目ヂカラも意識してどうにかできるものではないような気がします。
でも、目のふるまい...できるようになりたいです...ほんとに。

にほんブログ村ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.04.19

1年です

4月19日。
私にとってこの日は忘れられない日です。
私の父の命日でもあるのですが、1年前には悪友とも言うべき親しかった友人が逝った日でもあります。
ただいま、朝の3時すぎ。

父が亡くなったのは夕方でしたが、友人が亡くなったのは明け方4時過ぎ。
あと1時間。
1年前の今頃は、彼女はICUで戦っていたんだなぁ...なんて思います。

遺作となってしまった、彼女の書いた作品集。
詩集です。
本当は自分の手で編集して自費出版するつもりで準備をしていたのに、4月13日の朝突然倒れてそのまま、19日に息を引き取りました。

突然のことで、気が動転して冷静な判断ができなかったなと1年前の自分を振り返ると思います。
彼女は手話で話す人...ろう者です。
年に何度か一緒に映画に行き、月に一度は何かしらで顔を合わせ、バカ話をし、喧嘩もし、好きなこと言い合っていたまさに「悪友」。
会わないときはメールだLINEなどでわいわい連絡を取り合っていたのに、そんな友人が突如心肺停止で救急搬送されたのに、私も他の友人も冷静な判断ができなくて「心配停止」なのに「大丈夫。助かる」と信じていました。
またバカ話ができると本気で信じていました。

3日たち、4日たち...「心肺停止」の状態と人工的に心臓を動かしていることをあらゆる方法で調べて、調べてなんとなく現実を受け入れられた頃、旅立った彼女。
1年も会っていないのに、またひょこり会えそうな、まだいなくなっていないようなそんな気がします。

今日は1周忌なので、1年前彼女が逝った時間までは起きていようと思います。
父が亡くなったのは11年前。
友人とぴったり10年違いなんだなぁ...。

4月19日は私が生涯、忘れられない日であることにはかわりありません。

にほんブログ村ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.02.18

雪解け水

2週連続の記録的な大雪で首都圏では様々な影響が出ています。
幸い私の生活圏内では、停電などもなく電車が止まったり遅れたりくらいで済みましたが、埼玉や東京の奥多摩あたり、山梨、長野の一部などでは孤立した地域や集落もあり食料などが足りなくなっているあおうです。
高速道路には、今だに車が立ち往生しているとか。

雪国と違い、除雪車がない地域で大雪に見舞われると本当に命にかかわるなと思いました。
実際、犠牲者もでています。

今朝は雪解け水が路面で凍ていました。
明日も寒いようで、足元には気をつけたいと思いました。

日曜日は暖かく、雪解け水が道に流れ雪をぐちゃぐちゃにしていました。
北海道の春の道のようだなと懐かしくなりました。
北海道に住んでいた頃、私は春が一番嫌いな季節でした。

お花が咲く前に、雪が溶けてシャーベットのようになった道が歩きにくくて大嫌いでした。
子どもの頃は、ちょっと裏道へ行くと舗装されておらず泥だらけの道になってしまうこともあり、子どもの頃の私の春のイメージは歩きにくくて汚い道路でした。
お花が咲き乱れるのはその後でした(ーー;)

先週の雪でそんなことを思い出し、北海道に行きたくなりました!
関東に大雪をもたらした低気圧、今夜は北海道上空だとか。
北国といえども寒いものは寒い!
どうぞ過信せずにおすごしください。

今週半ばにまた雪に予報ですね。
もう降らないで欲しいものです。

ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.01.06

ああ...勘違い。

日本語には同音意義語が多く、子どもの語彙数はさして多くありません。
そこで、子どもの語彙ならではの色々な勘違いがおこります^^;

まず、小学生の時私が親に言われて大泣きした忘れられないことばが「フヨウカゾク」。
大人ならわかる「扶養家族」のことですが、小学生の私が父と母が「ドシルはフヨウカゾクだから」と話しているのを聞いた時はそりゃあもう大ショックでした。
子どもの語彙に「扶養」はありません。
「フヨウ」と言えば「不要」です。
ああ。。。私は両親にとって「不要家族」なんだと大ショックを受け大泣きしたのをはっきりと覚えています。
そんな私に「扶養家族」ということばを説明してくれたのは父でした^^;;

次に、印象的な勘違いは小学5年か6年の夏のことでした。
テレビでは、終戦記念日に関する報道が多く放送されていた時期なので7月末か8月...とにかく夏休みのことだったと思います。
東京裁判についての番組だったと思います。
「エイキュウセンパン」ということばが何度も出て来ました。

「A級戦犯」は、ポツダム宣言に基づいて行われた東京裁判で有罪判決を受けた方たちのことですが子どもの私は「エイキュウセンパン」と聞いて「永久戦犯」だと思ったのです...。
永久に戦争犯罪者として許されない人のことだと思い込んでいました。
よくもまぁ、勝手な解釈で新しいことばを作ったものだと自分のことながら、冷や汗がでます(^^;;
「A級戦犯」だとわかったのは、中学生になってからです。

他にも思い出すと色々あるはずなのですが、今日のところはここまでで...。

大瀧詠一さんの曲を聴きながら...。

ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ
にほんブログ村

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013.05.03

タイムスリップ

連休の狭間のとある平日の夜。
私はタイムスリップしてきました(笑)
なぁーんて、本当にタイムスリップできるわけはありません^^;

学生時代のアルバイト仲間と、久しぶりにプチ同窓会を開きました。
色んな偶然が重なった結果だと思います。

このブログに何度も書いている私の学生時代の「聖地」とも呼べる、ジョイタイム深沢店で、一緒に仕事をした仲間達です。
大学も出身地も違うけれど、多くは一人暮らしの大学生で比較的近所に住んでいる人が多かったので大学のサークルのような感じで本当に良い関係を築いていました。

久々に集うきっかけになったのは、広島から友人がやって来るということだったのですが、普通だったら友人と都合の良い時にごはんたべておしまい...になるところだったのです。

ところが、少し前にこのブログの古いジョイタイムの記事を見てコメント&メールをくれた昔のバイト仲間(先輩だけどー)と久々に連絡をとり合ったことをきっかけに、フェイスブックで一気に輪が広がり、専用グループなんかも作って多いに盛り上がりました。
その延長線上でプチ同窓会開催となりました。

一番直近の人で10年くらいぶり。
一番会っていない先輩だと20年近く会っていない計算になります^^;
過去にジョイタイムでアルバイト経験がある方は、ファイスブックでもジョイタイムで検索してくださいね。
できれば90年代半ばまでの方...お願いします。

で、飲み会では近況報告や名刺交換(笑)そして昔のエピソードが盛りだくさんになるなど、大変盛り上がり、最後には飲み会に参加できなかった仲間達が「電話参加」ということで、あちこちで電話をしている自体となりました。
楽しかったです。

恐ろしい物でいまでも、当時のテーブルの卓番をみんなが覚えていました(笑)
そして10年以上会っていなくても、みんな変わらない!!
本当にビックリするほど、昔のままです^^;;;

私も変わらないと言われたけど、当時の写真と比べるとかなり変わってるんですけどね(汗)
皆で旅行やドライブへ行ったこと、色んな飲み会、騒ぎすぎて叱られたこと、誰かの実家へ遊びに行ったこと、アルバイト中のことなどなど色々思い出しました。

そしてどうやら、私は記憶力がいいらしいです...。
昔のこと色々と映像で浮かぶんですよね〜汗。
これも手話の効果でしょうかね〜。

何年経ってもタイムスリップして当時のように打ち解けられる、そんな仲間がいることに感謝しつつ...。
今度はもっと大々的にやりたいね〜。


ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.02.06

私の根幹

なんだか変なタイトルになってしまいました...^^;
最近、仕事仲間に「どうしたらそういう考え方の人になるの?だれか影響を受けた人はいる?」と訊かれ、考えました。
ここでいう「そういう考え方」というのは、私がいつもある事象を主観だけでとらえず客観的に多角的な視点で判断するよう心がけているという話しに始まります。

分かりやすくいうと、「立場が変われば、相反する利害関係がある」ことも考慮し「もし自分が相手の立場だったら、どう考えどう感じるのか」を考慮した交渉だったり、配慮をするという考え方に起因するのです。
立場が異なれば、事実はひとつでも言い分がかわったり希望する結論が異なることは、個人的人間関係でも、国と国の外交問題でもよくあることだと思います。

様々な場面で、多角的視点で検討するということを行うようになったはっきりとしたきっかけは思い出せません。
ただ、小さいときからその傾向はあったように思います。
片一方だけの話しを聞いて、鵜呑みにするのは昔から好きではなかったようです。

その最たるものが、米ソの冷戦時代に遡ります(^^;
私が子どものころは、アメリカとソ連(現ロシア)が冷戦状態で表面状は戦争をしていないけれど、とっても険悪でした。
北海道はソ連に地理的に近いので、自衛隊の予算を多く割かれていました。
地理的にはソ連の方が近いのですが、アメリカ寄りの日本に入って来る情報はアメリカの味方をする内容ばかりで、本当のソ連の様子が分からないものだったと思います。

子どもだったので、どの程度正しく情報を把握していたかわかりませんが、何かある度「どうして、ソ連はそんなことするの?」というようなことを大人達に質問する子どもでした。
テレビの情報は、子ども心に中立的ではないことを感じました。
日本はアメリカと仲良しだから、ソ連の悪口ばかり言っている...そんな印象がありました。

そのうち、私はとてもソ連に興味をもちました。
どうして、ソ連とアメリカが仲良くできないのだろうとか、アメリカが言うことは本当なのだろうかとか色々思った結果、ソ連に行って実際にどんな国なのか見てみたいと思うようになりました。

まぁ、チェルノブイリの問題とか色々ありましたがとにかく、ソ連が本当に悪い国なのか自分で確かめないことには、公平な判断ができないと思うようになりました。
でもまぁ、実際すぐに行けるわけはないのですが(笑)

とにかくソ連を見たくて、何かの視察で学校の先生がソ連へ行くことになったのでその時に、ソ連の絵本と絵はがきを買って来てもらいました。
絵はがきに映る、美しいロシア建築や景色に魅了されたのを覚えています。
当時のソ連は、社会主義国なのでお店の営業時間がめちゃくちゃ短くてお土産を買うのがとても大変だったらしいです。
それにしてもどうして、学校の先生が当時ソ連へ行ったのかは謎です。
個人の旅行だったとは思えないのですけれど。

そんなこんなで、正しいソ連を知りたいからロシア語を勉強したいと高校生のころには思っていて、大学に入ったらロシア語を第2外国語にしようと思っていたのに、ロシア語を選択できずスペイン語を選択することになるという余談もありますが、ベルリンの壁崩壊とかもろもろあり、私が旧ソ連へ行くことはおろかロシアへも行ったことがないまま今に至ります。
(スペイン語は、インカ帝国を滅ぼしたスペインのことばなので、ロシア語の次に興味があったのと、発音が概ねローマ字読みなので簡単かも!?という甘い考えでしたが、未だにスペイン語がまともに話せません^^;;;)

中学生の頃、「一番行きたい外国はどこ?」と訊かれて、クラスのみんなはアメリカやイギリス、フランス、カナダなどと言っていたなかで、「ソ連」と答える私はかなりの変わり者でした。
そしてクラスメイトは「ソ連になんか行ったら殺されるよ!」と言うのです。
これが、一方向の情報しか与えられていない子どもの自然な反応でした。
ソ連に行ったら殺されると子どもが思い込むほどに、当時の日本でのソ連は悪い国という印象だったと思います。
そんなところへ「でも、本当にソ連が悪いのか、アメリカがウソ言ってるのか分からないから、ソ連の言い分も聴いてみたいでしょ」という私の考えは、他の子たちの目にどう映ったのか今思うと謎です(笑)

小学生から高校生までこんな感じなのですから、振り返ると基本的な思考回路は、今とあまり変わっていないように思います。
今と違い、冷戦時代の私たち北海道に住む子どもは、「ソ連が攻めて来て、戦争になったらどうしよう」という不安な気持ちを心のどこかに、持っていたように思います。
その辺は、北海道ならではの特殊な事情かもしれません。
私は、実際小6か中1の時に「ソ連が飛行機で、北海道に爆弾を落とす」という夢を見たことがあります。
そんな夢を見るほどに、潜在的な脅威を抱いていたのではないかと思います。

仕事仲間のことばから、こんなことを思い出したので書いてみました。
われながらあまりかわいげのない、子どもでしたね(^^;;

ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.28

子どもの頃の夢

多くの方が仕事納めの本日。
冷たい雨が降る寒い1日になりました。

年末にちょっと自分の人生を振り返る...ってことで(笑)
自分の子どもの頃の夢を思い出してみました。

幼稚園の頃は、大好きな幼稚園の先生がいて自分も大きくなったら幼稚園の先生になりたいなぁと思っていました。
小学生のときも、だいたいは「幼稚園の先生」か「保育園の先生」と言っていたように思います。
それが、小学校3年生くらいの時にマンガ「王家の紋章」を読んで突然、「考古学者になりたい!」と言い出します(笑)
それを親に「学者になれるわけがない」とあっけなく否定され撃沈(笑)
その後、やはりマンガの影響だったと思うのですが「天文学者になりた〜い」と言い出したものの考古学者同様、親に「無理無理」と言われ撃沈(笑)
その後はだいたい、幼稚園の先生か保育園の先生か小学校の先生なんてことを作文に書いていたりします。
校種はともかく、漠然と教育機関で仕事がしたいという気持ちが強かったみたいです。
中学生になっても同じような感じです。

中学時代、音楽を生で聴くことに目覚めライブへ行くようになり高校生のときは札幌のライブハウスに通い、ラジオにリクエストを送り...なんてことをしていたので「音楽ライターになりたい」なんてことを思い始めたこともありました。
ものを書くことは昔から好きで、中学でも高校でも作文で何がしかの賞をもらったり、全道大会へ行ったりをしていたので、好きな音楽を聴いてそれを記事にする仕事っていいなぁなんて思ったことがありました。
高校時代は、高校生音楽祭のスタッフとしても活動したので、本当に印象深いです。

高校生も3年生になると、一応現実的なことが見えてくるので真剣に進路について考えました。
とはいっても、多くの高校生と同じではっきりとした進路が見えているわけではありませんでした。
雑誌で、日本語教師の仕事を知り興味を持ちました。
日本語教育検定の問題に取り組んでみて、あまりの難しさに頭を抱え、大学で勉強して受験しようと心に決めました。

大学生になり、ボランティアで外国人に日本語を教えている団体の活動に参加させていただき、第二言語としての日本語というものをかなり意識しました。
外国人の質問に答えられない、日本語が母語の私。
情けなくなりました^^;;

日本語教育能力検定に合格し、大学で教職課程をとり、教育実習を母校で行い教員免許を取得しました。
でも、教員採用試験は受けませんでした。
私には教師は無理だなぁと思いました^^;;
うん、先生は大変です。本当に。

そんな教員免許も今では、更新制になったのでこのまま更新しないと無効になってしまうのですよね。
どうしようかなぁ...。
更新しようかなぁと考え中です。

就職してからは、外国人と関わることも多かったので日本語教育の勉強をしたことも役立ちました。
人生に無駄な経験はひとつもないなぁと思います^^

子どもの頃の夢が具体的だった人はそれを、大人になって叶えていることが多いと思いますが多くの人は、私のように漠然としていたり、ころころなりたいものが変わると思います。
それでも、私はけっこうHappyに生きています。
そのときどきでやりたいことをやっているし、学びたいことを学んでいます。
今の仕事だって、人と関わり言葉と関わるという点では子どものころから好きなことの根幹はあまり変わっていないのかもしれないなぁと思ったりもします。

さて。2013年の初夢はどんなでしょうね...。

ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.12.27

水たまりと氷

今朝もとっても寒かったです。
わが家の池やバケツに入れてあった水には、うっすらと氷が張っていました。
本当に寒い...。

道産子の私の冬の思い出といえば、雪や氷での遊びです。
冬の朝、通学路の途中で水たまりがうっすらと凍っていると、わざと氷の上に乗っかって氷を割るのが好きでした。
パリンと氷が割れる感覚がとても楽しくて、友達と競って氷の張った水たまりを探したものです(笑)
昔は、アスファルトじゃない道が結構残っていて(田舎なので^^;;)けっこう、水たまりがあったものです。

今でも、氷が張っているとつい割りたい衝動にかられます(笑)
氷と言えば、近所の湖が凍ると父と一緒にワカサギ釣りに行ったことが思い出されます。

「薄氷を踏む」の実体験!
湖の岸側は氷が薄いところがあるので、とても注意が必要でした。
氷が厚いところに乗っかって、歩いて湖の中心辺りまで行き、専用の機会でワカサギを釣る為の穴をあけて釣りをします。
今は寒いから絶対に行きたくありませんが、子どもの頃は父と2人で出かけたり父や近所の子たちと一緒に出かけたりしたものです。

スキーは裏山で滑っていましたし(笑)
市営のカーリングリンクが、ぽつんとあったり...。
今思えば本当にのどかな環境で育ったなぁと思います。

北海道で18年。
関東へ来てからももう18年以上経ってしまいました。
関東の方が長く暮らしているものの、やっぱり北海道の山や雪遊びや川遊びなど自然の中でわいわい遊んだことは脳裏に焼き付いています。

来年の3月で、私の母校の高校が閉校してしまいます。
閉校前に、見に行きたいなぁと思っていますがちょっと無理かな。
去年遊びに言った友人の話しでは、私たちが高校の頃と校舎は殆ど変わっていなくて昔のままだったので、タイムスリップしたような気持ちになったとか...。

毎日歩いた道のりを、閉校前にもう一度歩きたかったなぁ...。
そんなことを思った年末の夜でした。


ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.10.29

タイムスリップ

久々の想い出話です(笑)
中学生の時、となりの校区の中学校に勉強もスポーツもできてかっこいい先輩(男性)がいました。
同じ市内ですから何かのおりに一緒になることがあると、みんなで大騒ぎ(笑)
懐かしい想い出です。
きゃーきゃー言っていた割には、その先輩の顔が思い出せないんですけどね^^;;
まぁ、そんなものですよねぇ(笑)

そして校区が違ったはずの先輩一家は、ある日うちの近所に引っ越してきました。
みんなで「かっこい〜」と騒いでいた先輩はすでに卒業していたので、全く私たちの中学生活に影響はないのですが^^;;
私の中学時代と言えば、杉真理さんが好きだった私と伊藤銀次さんが好きだった1つ上の部活の先輩(女子)とで、わいのわいのとカセットテープに色々音楽を入れていたのでした。
こちらも懐かしい想い出です。

みんなのあこがれのお隣の中学校の先輩一家が引っ越して来たのがどうして分かったかというと、そのお宅のお父さんとうちの父の職場が同じだったからです。
勤務部署は違ったみたいですけれど、そんなご縁で私たちの耳に入ってきました。
でね、ご本人はとっくに卒業しているから関係ないのだけれどしらばらくして、弟さんがいることが判明。
この辺り、記憶が曖昧なのですが中学は残り僅かだということで転校しないでとなりの中学に通っていたようです。(たしか...)

そんな弟くん、高校は私と同じ高校なのでした。
家が近いので、ほぼ毎朝通学バスは同じ時間でした。
名字は同じだけど、あのスゴーい先輩(私たちにとっては神懸かり的にスゴいひとだったんですもん)の弟だって、しばらく気がつかなかったんですよね〜。

気がついてからお兄さんのことを聞いたりしていたので、今にして思えば結構失礼だったなぁと思います。
そして私が高校3年生になったある日、どうしてそうなったのか覚えていないのですがその弟くんと私、つき合うことになりました。
はっきり何かを言われたか覚えていませんが、何か言われてとにかくつき合うことになったんだと記憶しています...うーん。
(こう考えていくと記憶が曖昧ですねぇ^^;;)

つき合い始めたとはいえ、高校3年生です!
私は都内の大学へ行くことを決めていたし、彼は道内にいることを決めていました。
携帯もない時代のことですから、ご想像通り私が上京して遠距離になってなんとなーーく、お互い連絡をとらなくなり自然消滅したのでした。
私が帰省したときに、何度か会っているけれど1年も続いていないですねー。

そんな短い間の、青春時代の恋愛なわけですがかなり印象深いのです。
神懸かり的にすごかったお兄さんの弟なので、彼も頭がよくて妙に大人びていました。
色んな知識があって、なんでも知っていてスゴいなぁと当時思っていました。それに高校時代から進路や、やりたい仕事がはっきり決まっていてちゃんと夢を持っている感じで、理系だったので私は苦手な数学を教えてもらったりしていました。
とにかく、文系の学校へ進んでなんとなく社会へでようかなぁくらいにしか考えていない私とは違うなぁという印象でした。考え方が大人過ぎで私じゃついていけないなぁという部分もありましたね。
最後に会った日のことが結構印象に残っています。それ以来連絡を取ってもいないし、どうしているかさえも分からないでいたのですが、そんな彼となんととあるSNSで再会し連絡を取るようになりました。
SNSって、周囲の友人の繋がりもあるので、母校が一緒だと繋がるんですよね^^;;

顔を見た訳ではなく、文字でのやりとりなのですが彼は私を旧姓に「さん」づけで呼ぶし、昔話を色々したり両方の親の話をしたりと20年ぶりにあーだこーだと田舎トークを繰り広げました。
その中で驚いたのが、私が大学時代都内で一人暮らしをしていた時の電話番号を、彼が覚えていたんです!
さすが神懸かりな先輩の弟ですね〜。
1度でもかけた電話番号は、指の動きで記憶してしまうらしいです。
どんな脳の構造しているんだろう...と、びっくりしました^^;;;
たぶん、会う機会はないと思うのですが「もしも会うことがあったら、お互いの今の幸せを喜びあえるね」なんて話しました。

私は今が幸せだし、たぶん彼も今、幸せなんでしょうね(^^)
高校時代の友人と話していると自然とタイムスリップして、その頃に戻りますよね〜。
あの感覚ってなんなのでしょうね^^;

そういえば、神懸かり的に頭が良くてかっこよかった先輩(彼のお兄さん)はどうしているのかまったく聞いていません(笑)
たぶん、それなりに普通のおじさまになっているのかなぁと想像します^^;;

長いようで短いような20年。
この20年があるから今の私がいるので、今の幸せに感謝しつつこの20年間にお世話になった人々にも感謝したいと思いました。


ブログ村でブログランキング参加中↓クリックよろしく★
にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧