カテゴリー「おひさまキラキラ」の88件の記事

2005.10.26

「町」の読み方

2003年に「おひさまキラキラ」に掲載した記事で、もう一度多くの方に聞いてみたい記事だったので、リニューアルして新しくアップしてみます。
当時、読んでくださってご意見をいただいた方もいらっしゃいますが、再度ご覧ください*^^*

************************** 以下、当時の記事のままです。

先日新聞に興味深い記事が載っていました。
なるほど~っと、納得した私なのです。

それは何かというと、「市町村」の「町」の読み方なのです。
(市内にある「町」じゃなく「市」と対等の「町」の方です^^;)
北海道に住んでいたころは、由仁町(ゆにちょう)のように「町」は「ちょう」と読みました。
だから、「ちょう」と読むのが自然に身についていたんです。

大学時代は都内に住んでいましたが、特別区(23区内)在住だったため「町」についての読み方を考えることはなかったのですが、神奈川へきてから、悩むことが多くなりました^^;;

例えば「葉山町」は「はやままち」で「まち」と読みます。
でも横浜市内にある山下公園などで有名な「山下町」は「やましたちょう」。
あれれ・・・???
「ちょう」と「まち」があるーーー。
聞くと、神奈川では市町村の「町」は「まち」、市町村内にある「町」は「ちょう」と読むのだそうです。
ふむふむ・・・。

ここで、冒頭に書いた新聞の記事にもどるのですが、その新聞によると、北海道では「森町」だけが「まち」と読む以外はすべて「ちょう」で、関東の市町村の「町」は例外なく「まち」と読むのだそうです。
市町村の「町」の読み方は昔から、その地域に根づいた読み方をしていいということになっていて、地域差があるのだそうです。

これですっきり。
確かに東京の「日の出町」は「ひのでまち」と言いますね~。
なるほどなるほど。
私の違和感も解消されたのでした。
でも、何新聞に書いてあったのか忘れちゃったんですよね^^;;

さて・・・。
ここをご覧のみなさまの周辺の「町」はどっちで読むのでしょう?

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2005.10.25

カテゴリー「おひさまキラキラ」のコト。

@Niftyのnoteサービスというのがあって、ココログができる前はそれを利用して日記めいたものを「建築散歩」というサイト内で書いていました。
それが、「おひさまキラキラ」です。

そのnoteというサービスが来年の5月で廃止になり、そこで書いたデータはココログに移行できるということなので、早速やってみました。
それでできたカテゴリーが「おひさまキラキラ」です。
ここをクリックすると、2002年ごろからの「おひさまキラキラ」の記事が出てきます。

ココログ移行に辺り、少し整理しようと思います。
HP内にあったページ用に書いた文章なので、ブログだけでは「?」な内容もあるかと思いますがご了承くださいm(__)m

また、「おひさまキラキラ」にも「Let it be...」にも同時期にちょっと違う視点から同じテーマで書いたものもあります。
内容が重複していたりしますが、こちらもご了承ください^^;;

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2005.09.22

スタンダード石油社宅(ソコニーハウス)についての続報

前回書いたソコニーハウスにその後、動きがありました。
まず1つ目。
「旧スタンダード石油社宅とその景観を救う会」というのが立ち上がり、現在保存活用に向けて始動しています。
9月24日には、A.レーモンドに師事していた三沢浩先生などの講演会もあるようです。
救う会が立ち上げているHPも公開されました。
その名も「よみがえれ、本牧ロマン」。
旧スタンダード石油社宅に関する詳細な説明を見ることができます。

それから、9月7日付けでJIAが横浜市に『「本牧スタンダード石油社宅(ソコニーハウス)」及び敷地の保全活用に関する要望書』を提出したようです。

今後、どうなるのか要注目です。

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2005.07.19

スタンダード石油社宅(ソコニーハウス)の保存について

建築散歩」のTOPページで紹介していますが横浜・本牧に残るA・レーモンド晩年の秀作である「ソコニーハウス」と呼ばれる旧スタンダード石油社宅。

この建物が現在解体の危機に直面しています。
つい先日の神奈川新聞でもそのことが取り上げられていました。
(残念ながらWeb版には未掲載でした)

A・レーモンドといえばF.L.ライトと共に帝国ホテル建設時に来日した米国人建築家として有名です。
横浜には伊勢佐木町に不二家が残っています。

「ソコニーハウス」は戦後の作品にはなりますが、築後50年経過しています。
本牧の高台に位置し、創建当時は海を一望できたと思います。
(今はどうなんでしょう?私有地のためどうなっているのか私には分かりません^^;;)

以前は同じ土地に数棟あったようですが、現在はマンションが建設されたので残りはあと2棟程度のようです。
マンション建設のときはその価値さえもわからなかったのでしょう。
昔と違い、今では登録文化財制度ができたり地域住民も日本中あちこちで昔の日本の町並みなどを回顧するような状況にあります。
そんな中降ってわいた、「ソコニーハウス」を解体して墓地を作る計画。

現地を知る私としては「あんな民家いっぱいのところに墓地~!!」と、ビックリです。
ソコニーハウスのことがなくても、あの場所に墓地はイヤかも・・・。

墓地話が出る前から横浜近代建築アーカイブクラブでは、建物の老朽化等を危惧していたようですが、墓地計画もあってか地域住民などによる保存する会が立ち上がったようです。
現在、保存会のサイトがあるのかどうか不明ですがもし判ったらまたご紹介したいと思います。

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2005.05.16

ツッカーハウスとヴォーリズ精神

2年前こんな記事をかきました。
当時、小さく取り上げられたツッカーハウス取り壊しのニュース。

病院側というか、病院を管理する(財)近江兄弟社では2年以上も前からツッカーハウスを取り壊して、ホスピスを建設する準備をしてきたことになります。
2年経ち、ツッカーハウスの取り壊しの話が現実味を帯びてきました。

近江兄弟者学園の卒業生のみなさんや、(株)近江兄弟社の社員のみなさん。
それに近江八幡でヴォーリズ建築に囲まれて過ごしてきたみなさんなどなど・・・ヴォーリズを愛する方たちが現在、ツッカーハウスをめぐって色々な活動をしています。

ひとつには保存を目指す活動。
ツッカーハウス・大王松を守る会」では解体反対の署名活動を行っています。
2年前に私に保存運動をしましょうとご連絡くださった方が、ここにいらっしゃるかどうかは判りません。
ツッカーハウスはヴォーリズ建築のシンボル。
ヴォーリズ精神を継承するためにも重要な建物であり建築遺産であることから解体に反対するという考え方です。

そして正反対の意見もあります。
ヴォーリズ精神を継承すればこそ、近江八幡にホスピスを建設しよう・・・というものです。
どちらからも出てくる「ヴォーリズ精神」。
ヴォーリズを尊敬し、精神を継承しようとすることは同じだけど方法が違うということでしょうか。

ストレートに感情をぶつけていいなら、私ももちろんツッカーハウスを残して欲しい派です。
ただ、単純に老朽化だとか壊してマンションにするなんていうなら声をあげて反対するのですが、「壊してホスピスに」といわれると、どちらがヴォーリズ精神を受け継ぐのか非常に悩みます。

一番いいのは、ツッカーハウスを残したままでホスピスの建設を行うこと。
これが単純に私の望む結果です。
ヴォーリズ精神を受け継ぎ、ヴォーリズ記念館も管理する(財)近江兄弟社がツッカーハウスの取り壊しを決めた・・・。
私は、このことにとても引っかかるのです。
一番ヴォーリズのことを知っている団体のはずなのに。

今後ツッカーハウスがどうなるのか、わかりません。
壊してしまったら、もう2度と元には戻せないことは関係者のみなさんもよくご存知だと思います。

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2005.04.10

東京ステーションホテル

建築散歩仲間のひとりがこの春結婚することになり、みんなでお祝い&送別会をしました。
送別会・・・そう、彼女は東京を離れ山形へ嫁ぎます。
嫁ぎ先は老舗の旅館だそうです。

そんなわけで、彼女の職場がある丸の内のシンボル東京駅隣接の東京ステーションホテル内にあるレストランばらでのお祝い&送別会となりました。
彼女はすでに仕事も退職したそうなので、この先はなかなか丸の内に足を運ぶ機会もないかもしれませんね。
東京中央郵便局を見上げながら、感慨深げな表情でした。

東京駅は震災前の姿に復元される計画がありますが、震災後の今の姿も結構好きなんですけどね・・・。
東京ステーションホテルのフロント前には復元後の模型が飾られていました。
創建時の姿も興味がありますが、震災後長いく愛されてきた今の姿にも歴史を感じることができます。

レストランばらは、赤いドレープのカーテンとダークブラウンの木枠の窓が印象的です。
窓からは電車のホームが見えるので、情緒はありませんがいかにも「東京駅」といった感じです。
駅舎が復元された後、レストランの内装なども改修されないといいなと思います。

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2005.01.31

芝浦・協働会館のいまむかし

先日、港区景観を考える会主催の港談会「芝浦・協働会館のいまむかし」参加してきました。
協働会館は、芝浦に残る昭和11年竣工の旧検番。
目黒雅叙園創始者の細川力蔵さんが、建てました。
今回の港談会には、その細川力蔵さんのご親族の方(今も芝浦近郊にお住まいだそうです)と、協働会を長く見守ってきた「協働会」から2名の方が出席されて、それぞれの立場で貴重なお話をしてくださいました。

細川力蔵さんの功績や人となり、協働会に参加している地元にお住まいの女性は、子供の頃協働会で踊りのお稽古をしていたことや、当時の町並みのお話。
更には、協働会が現在までどのように活動してきて、どういう経緯でこの建物の保存に関する運動に発展してきたのかなど、わかりやすく丁寧にお話してくださいました。

それに対して、参加していた地元町内会の方たちなどからの意見や今後のことなど、活発に発言がなされました。

地元としても協働会館を残したいという人も多いようですが、それぞれの地域で事情もあり、諸手をあげて保存に賛成!!・・とは行かないようです。

地元の方の多くは移築保存ではなく現地保存を望んでいるようでした。
当然、協働会でもそれに向けて活動していたのだと思いますが、東京都港湾局では、今年度中もしくは来年度のはじめにでも取り壊しをすることにしているそうで、東京都としては移築先が見つかれば移築保存して構わないけれど、見つからなければそのまま解体するという意向のようです。

そこまで話が進んでいるので、地元の方たちが本気で現地保存を希望するなら、要望書などを地元住民として至急出さないと、どうにもならないような気がしました。
地元でできること、地元じゃないけどその建物が好きでなんとか保存したいと願う人・・・。
それぞれの立場でそれぞれがんばって、お互い強力し合えば協働会館は現地又は、移築保存のどちらかでなんとか生き残れるかもしれません。

今後の動向がとても気になります。

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2005.01.30

SCAI THE BATHHOUSE

たまに会っては建築散歩をする数名の仲間といっしょに、上野から谷中まで歩きました。
今回、幹事を務めてくれた方の計画では、谷中は予定に入っていなかったのですが、ひとつひとつの建物めぐりに予想以上に時間がかかって^^;;予定を遂行できなく、予定変更で谷中散策となりました。

上野のことは私のブログ「Let it be...」に書いたので、こちらには谷中のことを書こうかな・・・なと思います。

谷中を歩いたときはもう、日も暮れかけているような時間帯。
本当に「通り過ぎた」感じでした。
小さな路地があって、古い建物を活用したギャラリーなんかもあって、今回は中に入れなかったけど、今度はゆっくり行きたいなぁと思いました。

例えば朝倉文夫さんの自宅(昭和11年ごろ竣工だったかな?)をそのまま使っている「朝倉彫朔館」や、蔵をアートスペースにした「すぺーす小倉屋」。
外から見ても面白い!
今度はぜひ、中にも入りたいと思います。
一番気になったのは、やっぱり「SCAI THE BATHHOUSE」。
元は銭湯で、今は使われていないけどシンボルの煙突はそのまま残っています。
中はもう浴槽は残っていないので、大空間がギャラリーになっていて好評のようです。

銭湯を再利用した住宅や喫茶店など見たことがありますが、ギャラリーというかアートスペースというか、とにかくそういう活用の仕方もあるのだなぁと感心します。
谷中は古さが新しい街。
きっと、若いアーティストにとって魅力的な場所なんでしょうね~。
今度はぜひ、その大きな空間で芸術を堪能したいと思います☆

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2005.01.16

歴史的建造物への放火

2005年になって4日目の夜、耳を疑うニュースが飛び込んできました。
山手にある山手聖公会の礼拝堂が火災で、内部をほぼ全焼したというのです。
山手聖公会といえば、J.H.モーガン設計のシンボリックな教会。
石造りの塔が印象的ですが、礼拝堂は木造でトラスの天井が印象的でした。
その礼拝堂が火災になったというだけで、ショックだったのに、翌日の新聞には、「米国人信者による放火」の文字が躍りました。
なんともやりきれない気持ちになります。

どうして放火したのか、動機は不明のようです。
どのような理由でも、焼失してしまったものは戻ってきません。

もともと、昭和6年竣工ですが終戦まじかの横浜大空襲の際火災にあい、焼失した礼拝堂が2年後に再建されたのが現在の礼拝堂です。
モーガン設計の石造りの意匠は竣工当時のままでしょうが、礼拝堂は昭和22年のものでした。
再建されるまでは、青空礼拝が行われていたそうです。

今回礼拝堂内部が全焼したのは本当にいたましいですが、きっとまた落ち着いた静寂の空間を再建してくださることだと思います。

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2004.12.31

よいお年を!!

2004年も今日でおしまい。
年とともに1年があっという間に過ぎますね・・・(汗)

わが家では毎年年末に1泊旅行に出かけます。
今年は大磯へ行きました。
大磯は旧別荘地。
西洋館が多く残っています。

今では大磯プリンスホテル別館になっている「滄浪閣」は伊藤博文氏の別荘だった建物です。
この建物、公道からはぜーんぜん見えません。
大磯プリンンスホテルの宴会や披露宴用パンフレットで、チョットだけ外観を垣間見ることができますが、殆んどは増築された部分がメインになっていて、古い洋館が見られるパンフレットは少ないです・・・残念。

今回も外観さえ直接見られないまま、だったのですが誰かここで結婚式でも挙げないかな・・・なんて思います^^;;
そうしたら、ゆっくり見られるんですけどね。

大磯から見える富士山は、すっかり雪化粧してとっても美しかったです。
温泉も気持ちよかった~。
温泉に使ったり、富士山を眺めたりするときは本当に日本人で良かったなぁって思ういます*^^*

2005年はどんな年になるかわかりませんが、マイペースでHPの更新や街歩きなど続けて行きたいと思います。

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